2004年11月3日講演会にて(藤沢市民会館)

 

患者力が手術を成功に導く

現場で1人ひとり膝をつき合わせて患者さんに対峙

     南淵明宏
     大和成和病院心臓病センター長

 
 皆さん、こんにちは。こういう形で皆さんと顔を合わせることができまして、本当にうれしく思います。かつて病院の外来の待合室でこういう会を催したこともありましたが、そんなときに皆さんの顔を見ることで、私自身がものすごく勇気づけられたことを記憶しております。
 皆さんが手術という事件を乗り越えられ、たくましく元気で生きておられる姿を拝見しますと、手術の成功は皆さんの大勝利だというように思います。、手術の前には恐怖、不安があります。皆さんは自分でその精神のゆれに打ち勝ちました。そうでないと手術室に入って来なかったわけですから、そういう状況を考えますと、皆さんが自らの手でつかんだ大変な手術の成功という勝利には私はいつも敬意を表するばかりでなく、自分自身がつらいときに、本当に力づけられます。
 きょうは皆さんに本を売りつけようという話しではないんですが、そういった内容がこの緑の本(『医者の涙、患者の涙』)の中に書いてあります。今月には徳間書店から『患者力』という本が出ますが、それにも患者さんの持っている力、自分自身で手術をお決めになられたという力ですね。それを解説しています。
 私がテレビ番組に出ると、「いい医者の見分け方を教えてください」とよく聞かれます。いつも申し上げていますように、トヨタに行って「いい車ってどんな車ですか」と聞いても、トヨタの人は「うーん、トヨタを買っていただければありがたいんですけどね」としか答えようがない。そういう意味では私自身が、いい医者の見分け方なんて分かるわけがありません。
 ただ、私はたくさんの患者さんを診させていただいて、治療させていただいています。いろんな経緯で大和成和病院に来られる、あるいは迷った末に手術を受けられたり、手術を延期されたりもします。それはまさに「患者力」という力ですね。12月にも、中央公論から割と硬派な、堅い内容の本も出る予定で、今、一生懸命、原稿を見直したりしています。
 きょうはほんとに感慨深いことがあります。皆さんもすでにお気付きだと思いますが、古川知子さんのことです。古川さんはきょうはすらりと妖艶さ極まる恰好で皆さんの前で、にこやかにあいさつをされておられました。古川さんちょっと立っていただけますか(拍手)。古川さんは皆さん同様に病気をされ、手術されて見事に復帰されました。きょうこうやって、皆さんの前で笑顔を振りまいていらっしゃるということは、ほんとに感極まる出来事です。
 実はきょうは冗談を言いながらも皆さんの前で話せるもう一つの事情があります。長年幹事としてこの考心会を引っ張っていただきました北川都さんのことです。 私が8年前に胸の動脈瘤の手術を行ったのですが、別の部分に動脈瘤ができまして、2回目の手術を先週の火曜日にやらせていただきました。そのとき一瞬、自分の頭の中に、もし北川さんの手術で何かあると、これはもう皆さんに顔向けできないというまるで素戔嗚尊のような一つの運試し的な要素のある手術になりました。 もちろん患者さん一人ひとり同じような思いを込めて手術をさせていただいているつもりです。北川さんは手術の後、肺の機能に少し弱い部分がありまして人工呼吸器が離せませんでしたが、今は離脱して順調に回復されています。本当によかったと思っています。
 古川さんの闘病からの回復、それから北川さんの再手術。北川さんは1回手術をして、心臓の手術のことを非常によくご理解されておられます。知識があればあるほど余計に怖い、恐怖感もあります。それを乗り越えて手術を受けられた北川さんはまさに大勝利をおさめられたわけです。
 先日、あるところで講演をいたしました。「最近は手術症例数ですよ」、「現場が非常に大事にされてきている状況ですから、どこの大学を出たとかは関係ありません。とにかく目の前の患者さんに一人ひとり、ひざを付き合わせて患者さんに対峙していきましょう」と話をします。話が終わって院長室に案内してもらい、「南淵先生、ありがとうございました」と言われます。 すると、その院長がいきなり「外科手術なんて切ったり貼ったり、あんなもの、だれでもできますからね」と言われて、思わず「えっ」とびっくりしてしまいました。気持ちとしては、その先生が内科でなにがしかのコンプレックスを外科の先生に抱いていらっしゃるのかもしれませんが、そういうことを聴衆の前、あるいはそういう話の内容と逆のことを言っている人間に言っていいのかなという非常識さを感じまして、ほんとうに哀れに思いました。
 大病院の偉い先生方というのは、現場で1対1で患者さんと向き合い、ひざ付き合わせて患者さんの話を聞いて手術をやっているということが、医者の中でもランクの低い卑しい身分の、日銭を稼ぐ肉体労働者であるというような見方をしているように思えます。現場軽視というよりも、蔑視、さげすむという見方、風潮ですね。
 これは医療、医者の社会だけに限らないかもしれません。現場にいないで、机の上でいろいろと頭で考えて「こういうアイディアがいい。素晴らしい。おれは天才だ」と人に命令する。それがエリートだ、権力だ、立身出世だと思っている人がおります。院長さんが言われた「切ったり、貼ったり」の外科手術ですが、この「切ったり、貼ったり」で、私自身はいつも苦労をしています。100%完ぺきだったことは1度としてありません。いつも、もっとうまくできるんじゃないかとのた打ち回っています。でも、その学長さんにしてみたら、そんなことは「だれでもできること」で、「それで苦労しているんだったら、よっぽどバカ、よっぽど才能がない」と言われているような気がするわけです。しかし、どうでしょうか、そういった考え方は……。
 例えば自分がプロ野球の球団を持っていたとしますね。選手を応援するため子供連れで日曜日、土曜日の夜に球場に駆けつけます。どっちが勝ったかを読者に支えられている球団です。そこのオーナーが「たかが選手の言うこと」と言うわけがないですよね。ほんとに心で思っていても言ってはいけないこと。自分たちの商品を自分たちでおとしめる。そういうことをオーナーが言っていいはずがないし、そんな人はこの世の中では絶対に存在しないと思うのですが、院長さんの話はそれと同じようなことなのです。
 医者の中にもアスリートというか、金メダルを取るような人じゃないとできないような技術があります。外科手術に限らず、まさに『三国志』の諸葛亮(孔明)のように、千里の外に敵を破るという軍師の内科医です。 つまり1を聞いて10を知る。医療の世界では、話を聞いただけで病気の種類を判断し、1対1の現場で評価できるきらりと光る現場職人の技能がありますが、それが全く軽視されているという風潮が、いまだに残っているような気が致します。
 そういうふうに考えますと、これは医療だけの問題ではなくて、ほかのすべての社会にいえるのではないか。要するに、汗水たらして働いているのはバカだ、要領の悪いアホだというような風潮が、なぜこの国にはあるのかなと疑問に思うわけです。
 その原因というのは何でしょう。実は数日前にやはり「切ったり、貼ったり」で苦労しましたが、手術が非常にうまくいった事例がありました。心臓を動いたままバイパスを4カ所をつなぐ。時間も早く終わって思った通りの手術でした。それで患者さんのご家族に「手術はうまく終わりましたよ」と説明しました。4カ所つなぐため、胸の左右の動脈、それから胃の動脈、さらにもう1本を足の静脈から取る予定だったのですが、胃の動脈が殊のほか長い、太かったのでそれを流用しました。だから足の静脈を切らなくてもよかったということを家族に説明したのです。
 息子さんともう1人の女性が喜びましたが、別の男の人が「どういうことだ」と言って食ってかかるのです。そのときの目は人をさげすんだというか、ちょうど戦場で歩兵同士が銃剣で立ち向かう感じの血走った目でした。驚いてしまいました。それで「何ですか」と聞き直すと、「どういうことなんだ、説明しろ」と詰問するのです。この方は、県の衛生部の保健課長をしていたと聞きました。すべてがそうだとは言いませんが、行政の皆さんというのはこういう感覚で、我々民百姓、民間人を見下しているのでしょうか。(笑)
 私が94年から神奈川県において2千人以上の患者さんの手術をいたしました。中には手術をやったけど予定通りいかなかった、あるいは期待通りにいかなかった、随分お待たせしたというケースもありました。ほんとに申し訳ないと謝ったケースもたくさんあります。しかし、こんな経験は初めてでした。
 こんな人が県の課長だったということで、これは捨てておけない、大きな問題だと思いました。県は監督官庁ですから、いろいろおしかりを受ける可能性もあって、我々は戦々恐々として医療を営んでいます。その中に官尊民卑、水戸黄門に出てくる悪代官と言いますか、そうした人たちが、今の日本にまだいるのかなと驚きました。
 うちのような小さな病院で手術をしたのがご不満なのか、その方の特殊なキャラクターによるものなのか、県の衛生部におられたからなのか、あるいは私が手術をして待っているときに何かご不満を与えてしまうような不始末がスタッフにあったのか、いろいろ調べてみましたが、結局分かりませんでした。こういうことはひょっとして、今、この底流にある医療不信、「医者を見たらうそつきだ、悪人と思え」という感覚が世の中にまん延しているせいなのでしょうか。とにかく驚いた次第です。
  きょうはこの後、日本光電さんが除細動器についてお話をしていただきます。心臓が心室細動になると、この器械は自動的に心電図を判定して治してくれます。それがこの7月から、一般の人たちにも使用することが可能になりました。アメリカでは一般の人たちが使えるように、空港とか学校に常備されています。これまで医師しかできなかった行為が一般の方にも許されるようになりました。これは画期的なことです。この除細動器で心臓突然死が防げます。では日本光電さん、使い方とデモンストレーションをお願いいたします。

(この講演内容は幹事会の責任で概要をまとめたものです)