南淵明宏先生(大和成和病院院長) 2009年10月25日講演会(大和市保健福祉センター)

人間の想像出来ないような力がこの世をつくっている
 皆さん、こんにちは。今日は雨が降って足場が悪いところをこれだけの方が集まりました。いつもどれぐらいの方が来られるのかなと心配になるんですが、そんな心配は吹っ飛んでしまいました。12時から受付であるにもかかわらず、12時半にはもうほとんどの方に来ていただきまして、考心会に対する皆さんの関心の高さを感ずるとともに、入院して友達になった方同士が集う場にもなっていて、いろんな意味でこの会を活用されていらっしゃると思います。

 しかし物理的な活用だけじゃなくて、精神面の活用も一番大きいと思います。吉村会長の話にもありましたが、前回の考心会の集いから今日までの自分の生活を振り返ったり、あるいは医者や友達の顔を見ることによって、元気をいただく、人に会うこと自体の意味合いですね。その人に会って何らかの力をもらうなんてことを山本さんもおっしゃってましたが、やはりこういう皆さんとの出会い。心臓の手術という、まさに命のかかった、生きるか死ぬか決死の瞬間を僕らとともに経験していただいた人間同士がここで会い、何かを感じ、何かを考える、これは理屈抜きにしてやっぱりすごいイベントじゃないかなと思うんです。

患者の皆さんに何か光るものというか、オーラを感じる


 前回の総会はインフルエンザで中止になり、今回は1年ぶりに僕の顔を見る方もいらっしゃいます。毎回同じことを言うんですが、山本さんは「南淵先生から何か元気を」と言いましたけれど、僕自身が皆さんから元気をもらっているわけです。僕自身が、患者さんの元気な姿を見て、この考心会へ来られても携帯で仕事の話をしたりしている人を見るとほんとにすごくうれしく思います。みんな、ほんとに元気ですね。
 僕の立場から見て皆さんにオーラを感じるのです。何か光るものというか、一体何がこうさせているのだろうかと。あの手術室で、実際に僕が皆さんの心臓に対してとんでもないことをしたわけです、麻酔がかかっているのをいいことに(笑)。皆さんが知らない間に切ったりするわけです。この人は性格は悪いんだけど、心臓は素直だな、なんて思いながら手術をするわけですね(笑)。そういうのを思い返してみると、あれだけの手術を受けたのに、その人がこんなに元気に携帯電話で仕事の話をしておられる。いやあ、すごいパワーだなとほんとに思います。
 今日もつくづく思うんですが、ずっと考え続けていますと、やっぱりその中にほんとに人間の思いもよらない、あるいは想像もつかないような力がこの世界というか、あるいはこの世界をつくっている力があるんじゃないかと、常日ごろ、考えているわけです。

HPの「勇患列伝」に紹介させていただいた患者さんたち

 これからお話するのは自画自賛で宣伝です。ホームページに「勇患列伝」(勇気のある患者さんの列伝)というタイトルで、すごいパワーを持った驚くような患者さんを紹介させていただいております。現在15回まで行って、やがてそれを本にしようと思っています。その中に紹介した方も今日来られているようです。その人は、血管が詰まっているからバイパス手術をするわけですが、それにしてもこの人はすごい重症だ、こんな病気もあって、あんな病気もある。それにもかかわらず、この人は淡々と手術を受けて、淡々とリハビリをこなして、淡々と家に帰っていった、ほんとにすごいなと思うんです。(笑)
 「勇患列伝」第1回に紹介しているのは40歳の患者さんです。13歳のときに血液病になられていわゆる骨髄移植を受けて抗がん剤を投与され、その抗がん剤の副作用で膵臓の機能が駄目になってインスリンを毎日使わなきゃいけなくなった。それから腎臓も駄目になって透析もやらなきゃいけなくなった。それも20歳前後です。20年、透析をやって毎日インスリンを打って、今度はバイパス手術です。心臓の動きも、ものすごく悪いんですね。
 その人は獣医さんになり、ご自分で開業されています。うちの病院に来るときも、入院するときも、退院するときも、お一人で小田急と相鉄とJR京浜東北線を乗り継いで来られる。奥さんと2人で獣医さんをやってとても忙しいんです。いや、これすごいなあと思いました。
 13歳のときから、あんた病気だ、死ぬかもしれんと言われた状況で、自分の人生の舞台でずっと主役を続けておられる。だれでも主役なんですけど、彼の人生の舞台はそういうストーリーだったわけです。あんた死ぬと言われながら30年そういう状況で、それだけ強いんでしょうけれども、そういった強さというものを持った人たちが、ごく普通にこの世の中にたくさんいらっしゃる。この世の中のすごさというか、恐ろしさですね。
 一人の人間をピックアップしても、今日ここにいらっしゃる方もそうですね。そこの前を歩いている方も、そういった人たちの中に潜んでいるとてつもない恐ろしい、この宇宙全体をつくり出すぐらいの、場合によってはこの宇宙全部を消滅させてしまうぐらいのものすごい力がそれぞれの人間の心に潜んでいる、あるいはもともと潜在してるんじゃないかなという境地です。これはある種宗教的なものかも知れません。
 「勇患列伝」の中には、いろいろ仏教的な言葉が出てきます。仏教だけだと、こいつは変な新興宗教を信仰して布教活動をしているんじゃないかと思われたら嫌なので、キリスト教的なものもくっつけて、仏教でも宗派がわからないようにしてあるんです。別にどこの宗派に傾倒しているわけではないんですが、それぞれがすごいということです。
 皆さんは法事に行かれますね。法事で感心するのはやっぱりお坊さんは話がうまいということです。それだけ実入りがあるからでしょうかね(笑)。今日は僕は50分話して、ただですからね(笑)。これは難しい。なかなかできる芸当ではありません。でも、お坊さんはなかなか話がうまいですね。話の中で仏教の話をします。仏教の話は伝統的で、非日常の経験しないような、親戚同士が集まるところで、ぽっと話があってなるほどなと思わされます。そういう話は僕自身のホームページを見ても出てきます。例えば「泥中の蓮華」というのがあります。泥の中の汚いところから生えてくる蓮華というのはあれだけきれいだという話。
 ですから人間というのは、非常に汚いところで暮らしていたとしても、そういう環境であったとしても、家族みんながいがみ合っていたとしても、あるいは学校がとんでもないところであったとしても、そこからぱっと花開いて蓮華のようにきれいになる。全く一点のよどみもないようなきれいな花を咲かせるところがあります。ほんとにいろいろな意味で真実をついてたりするんですね。

手術の時、第3者として見ている自分が居る

 話は戻ります。そういう人間の心の中に潜む心というか人間の存在ですね。これは一体何なんだろう。そのパワー、そういったものをほんとに感じたものですから、さっき言いました「勇患列伝」というホームページに書かせていただきました。その中で今日お越しになっている方ですが、一つまた別の話をします。1回目の手術は大動脈瘤の手術で、うまくいって順調に経過したんですが、今度は大動脈弁も悪くなってきた。通っていた東京の病院で「弁も悪いから手術しましょうよ」といわれたんですが、「いや東京の病院で手術するなんて嫌だ。大和成和病院に行く」ということで2度目もうちに来ていただいたわけです。
 心臓を開けますと、前回の手術で癒着しているんです。人工血管もまたくっついちゃっているということでなかなか難しい手術でした。何とかいけるかなということで心臓を開けましたが、随分と遠いんです。目的とする大動脈弁が奥のほうに潜んでいて、「あ、これは駄目だ。もう終わりだ」という状況ですね。その方はほんとにいい方で、「一生懸命やったんですが、結局駄目でした」と言っても多分許してもらえるんじゃないかなという気持ちがする人です。
 それでも手を伸ばすと、ピンセットの先に大動脈弁がしっかり届くんです。「あれ、これできるんじゃない」。大動脈弁を切り取った後に人工弁をつけるわけですが、人工弁をつけるのはさすがに無理だろうと思ってそれで試しにやってみると、あれできるぞ、一本一本、糸がかかっちゃった。え、こんな奥なのにこんなのできる医者って世の中にいるのかな。自分にもできないと思ったけれど、とにかくできちゃった。30本ほど糸をかけるんですが、30本全部かかっちゃった。何とかうまくいってるが、でもこの人工弁を縫いつけて一本一本縛らなきゃいけないわけです。さすがにこの太い指は入らないだろうと思ったんですが、ひょいひょいと入っちゃうんです。
 あれ、できちゃった。切った人工血管を縫い合わせて心臓が動き出しました。「あれ動いてる、変だな」(笑)と思いまして、手術があっさり終わっちゃった。これは手術を一生懸命やった、すごいぞというんじゃない。何かその場に居合わせたみたいな感じなんです。その方の手術はほんとに大変だったんですが、その場に僕は第三者として居合わせて見学したみたいな感じでした。手術を終えてICUに移すと1時間ぐらいで患者さんは目がさめて、どんどん回復していくわけです。翌日にはもうご飯を食べているんですよね(笑)。

自分の力ではない宇宙の力というか仏の力に永遠の真理がある

 それを見て、これは僕の力ではない。これは何だと思いました。ほんとにその方に備わっている力でしょうか。あるいは僕やその方というよりも、この世の宇宙の力というんでしょうかね。仏教的に言うと仏性ですね。永遠の真理というか、最強の力というものが存在する。知ったかぶりの知識をひけらかしますと、とにかく永遠の真理、それから何物にもまさる力というか、この世を生み出した力、あるいはこの世を破壊してしまうような力、それが仏のわけです。ところが人間にはそれがよくわからないので形として表すということで、如来とか菩薩というふうに表現するわけです。
 この世は、この世界以外に3千の3千乗の世界があるわけです。この世界においては2400年前に釈迦族のゴータマ・シッダルタがなぜか知らないんですが生きたまま仏陀になった。そして死んじゃった。この世には56億7000万年後にしか仏陀は現れないと言われています。56億7000万年後に現れる仏陀は弥勒菩薩という名前が既についているわけです。その間、この世の中は永遠の真理、永遠のパワー、宇宙をつくるパワーという存在に我々人間は会えないので、しかしこの世界以外にも三千の三千乗のすごい数の世界があります。
 その中にはいろいろな仏様がいらっしゃる。この世界のゴータマ・シッダルタ、仏陀、仏様、お釈迦様は死んじゃったわけですが、ほかの例えば極楽浄土と言われている世界には阿弥陀如来がいらっしゃる。阿弥陀如来はずっと死なないで、こちらの世界で南無阿弥陀仏と念仏を唱えればめちゃくちゃ耳がいいので聞き届けてくれて、我々が死んだらそこの極楽浄土へ呼んでくれる。極楽浄土にいることに意味があるんじゃなくて、極楽浄土に行けば、その永遠の真理の絶対のパワーの阿弥陀如来に会えて、阿弥陀如来によって自分たちも仏になる、永遠の宇宙をつくったスーパーパワー、永遠の真理になるということですね。こういうのが親鸞の浄土宗や浄土真宗の念仏宗という考え方であったりするわけです。
 ちょっとややこしいですけど、一見めちゃめちゃ都合のいいというか、南無阿弥陀仏と一言唱えるだけで何かすごいことがあるんだなみたいなことでc。都合がいいなんてちょっと失礼ですね。何を言いたかったかというと、多分同じだろうなと思うんですね。だから南無阿弥陀仏と言うことで、皆さんが心の中にほんとは動かないところ、どこにも行かないでもちゃんと宇宙の永遠の真理というのはあるんだと。そういうものであるんだけれども、なかなか言葉では説明できないので、病気で弱ってる人とか、貧乏な人とか、死にかけている人とか、あるいは高い地位にいる人もみんな同じ。その人の心の中にものすごいパワーがあるんですよということはなかなか説得できないので、そういうストーリーにしたんじゃないかと思うんです。
 ほかの例えば日蓮宗なら、いわゆる法華経ですね。仏典を読んだら皆さんは仏に会ったと同じようなもので仏になれますよとか。あるいは真言宗の教えというのは、3千の3千乗の世界の、さらに上に大日如来というのがいて、いつも皆さんを見守って助けてくれて、何か困ったときには変身してカエルになったり、あるいはいろんな人になって皆さんを助けてくれる。そういう便宜的なストーリーをいっぱいつくったのがいろんな仏教の諸派なのかなと思っているんです。

2008年度のバイパス手術は全国最多、弁の手術も2番目

 つまり言いたいことは全部それぞれ、だれしも例外なく人間の心の中には仏様がいるということで。信じなさいと、宗教的なパワー、精神的なものということを宗教の人は言っているんですけれども、僕なんか、今言ったように現実に見ているわけです、皆さんの心臓というか、心の中というか。僕が見てる心臓が駄目かなと思っても回復していく。それ自身、目の前で見ている具現化された仏の心、仏性というんでしょうか、仏教でいえばそうなんですね。
 仏教に限らず、とにかくユダヤ教でいえば、ヤハエウという神。キリスト教でもみんな同じですね。ゾロアスター教でもみんな同じだと思うんですけど、何かすごい永遠のスーパーパワーみたいなものがあるんじゃないか。でも、仏教は特にそれが自分たちの体の中に既にあるということを、原始仏教じゃなくて、その後にそれを広めようとした、いわゆる大乗仏教と言われているもの。僕らが知っているような仏教ですけど、それを一生懸命、ものすごい仏典で、あるいはいろんなことをやって説いていらっしゃるんじゃないかなと僕は思っているわけです。
 つまり皆さんの手術をさせていただくことは、あるいはこれはひょっとしたら仏かな、実体験を通して先人の仏教かな、そういうふうに自分は思ったりするわけです。
 ある意味、自分自身、こうやって皆さんのおかげをもって、先ほど田さんに言っていただきましたが、ほんとにたくさんの患者さんを手術させていただきました。2008年度はバイパス術が278件で全国最多になりました、実は2006年も2007年も冠動脈のバイパス手術だけに関していえば、日本一です。だから3年連続日本一ということです。今年2009年度はどうなるかわからないですが、このペースで行けば、多分また日本一になるのではないかなと思っております。
 心臓の弁の手術のほうも、2008年度は274件で全国第2番目ということです。10年ぐらい前は圧倒的にバイパス手術が多くて、バイパス手術では定評があったんですが、心臓弁の手術も、倉田先生の僧帽弁の形成術などが全国的に定評を得まして、それで患者さんが増えてきているという状況です。
 これもほんとにいわゆる、医者の業界の中で、あるいは学際的なというと変ですけど、医者の専門の中で、あいつは偉い、権威がある、地位が高いというわけでは決してなくて、ほんとに皆さんの、患者さん自身の目線でもって評価されて患者さんがたくさん来て、手術を行わせていただいているということの結果です。毎年その状況がどんどん顕著になりつつあると思います。大和成和病院は3階建ての99ベッドしかない、それが日本で一番たくさん手術をやっているという実態は、うちの病院がすごいということもさることながら、ほかの病院は一体何をやっているんだということにもなりますよね。(笑)
 大きなそびえ立つような病院、あるいは高台にある病院。国の予算を投じて今度は450億円で建て替えだという病院もあったりするわけですが、そんな病院の5倍あるいは10倍ぐらいの手術をうちの病院でやらせていただいています。これもほんとに皆さんの考心会という存在が大きいと思うんですが、具体的なものはやっぱり心というか、気持ちというか、そのベクトル、そのご支持が支えているに違いないと自分は思っております。
 そういう皆さんの心の中にある目に見えない力といったもので、我々の病院も、手術もいろんな形で支えられていて、一生懸命やって手術をたくさんやらせていただいて、そこそこ給料も増えてよかったと思ってはいるんですが、とにかくその理由って一体何だろうなといつも考えるんです。やっぱりこれは何か大きな、人間の思惑とは離れたところの意思(will)によっているのかなと思わざるを得ないと、日ごろ思っております。

医師・看護師などのスタッフが充実してきた大和成和病院

 言い遅れましたが、今日は白石先生という内科の先生で7月から来られました。特に不整脈にかかわる分野でいろいろな知識と、それから実際の現実の力を持っていらっしゃる方です。医者というと理屈ばかり言うけど、実際にじゃあどうしたのというと、「さあわかりません、様子を見ないと」という人が多いんですが、白石先生は「じゃあこうしましょう」「これはいいですよ」と非常に具体的な指針を患者さんに提示される、そういうタイプの先生です。7月に来られてまだ短い期間ですが、患者さんの絶大な支持を得られています。
 不整脈は実は僕も多少あるんです。手術をやっていますと、おなかの辺がぴくぴくと動くときがあります。単なるおなかが減っているだけかもしれません。(笑)心電図を撮ると、心電図には出てこない。結構そういうところがあるんです。僕としては不整脈じゃないかなと勝手に思っているんです。とにかく心臓の手術をした、しないにかかわらず、不整脈というのは多い病気です。心臓がどきどきするということで病院に来られる一番最初の原因ですよね。そういうことでうちの病院としても、非常に充実したかなということで自画自賛している次第です。
 大和成和病院も患者さんがいろんなところから来ていただくというご縁のみならず、スタッフのほうも大変充実してきております。循環器の内科の先生を長年やっていただきました先生がお移りになられて残念な結果がありましたが、皆さんはお気づきだと思うんですけど、看護師さんですね。看護師さんたちの定着が非常にいいんです。骨格となっている看護師さんは、僕が大和成和病院に来て心臓の手術を始めたころの看護師さんがずっといて大和成和病院を支えていただいている。この看護師さんの定着率もほんとに自慢の種です。
 それと患者さんが多いということです。患者さんの紹介率が圧倒的に高い。この中のほとんどの人がそうだと思うんです。よその病院で心臓の手術が必要だという診断を受けて、「手術。あ、そう。そんならここじゃなくて大和成和病院」というふうに来られたということです。そういうことでほんとに一般の人たちの目線というか、支持で来ているんです。
 そういうご縁というのは人の縁、あるいは人の縁プラス目の前で実際に起こるリアルワールドで、何がどういう形で起こってどういう結果になっていくか。これはもう人間の思惑あるいは計画や計算どおりにはいかないことばかりです。にもかかわらず、これだけの結実したものが自分たちの周り、病院の中にあるというのは、これはほんとに何かの力じゃないかなと思っている次第です。それが一体何なのかというのを僕自身も、この後またずっと考えていかなきゃいけない、あるいはいろんな出来事で教えてもらうこともあるのかもしれないなと思います。
 これは皆さんの人生も同じじゃないかと思います。僕の人生も同じですね。一体人間ってどういう運命になっていくのかな。それは自分で選ぶものなのか、あるいはだれかに影響を受けるものなのか、あるいはぼっとしてて、そのままになるようになるものだろうかと。それでもってあがいて、そういったものがどんどん変わっていくんだろうか、変わっていっている人がいるんだろうか、変わっていっているように見えてる人でも実際のところはいろいろうまくいかないというか、結果的には流されている、いい意味で流されているということなのか。

あるがままをあるがままに受け入れることの尊さ

 また仏教の話に戻ります。禅の教えの中で、あるがままを、そのままに受け入れるという考えがあります。「平常心(へいじょうしん)」と言ったり、「びょうじょうしん」と言ったりします。そういうおごりのない、ただただ目の前の出来事を享受するという姿勢、そういう心の享受というものが尊いんだと教えているわけですが、そういうものでもあるのかなと思ったりしています。ですから正直申し上げて、10年ぐらい前は、何とかいい病院にしよう、すごい病院にしようと一生懸命考えていたわけです。僕は院長の立場で少しでもいい病院、少しでもいい医療と考えたりするわけです。
 しかしこれだけのことが出来上がって、自分たちの力もあったけど、その何百倍も何かの力だろうなと思わされてしまいますと、やはりほんとに今の状況のあるがままを受け入れて、とにかくそれは消極的な意味じゃなくて、積極的な意味でこれからもいろんなことがあると思います。民主党政権になっていろいろ政治も変わったようですけれども、あまり変わったという実感はないような気もしますが……。
 全然話は変わりますが、幾つか僕もテレビに出た中で、長妻昭さん、原口一博さん、松原仁さん、枝野幸男さんとお会いさせていただいた人たちが政権の重要なポストにつかれた。中でも加藤秀樹先生は行政刷新会議の事務局長です。行政刷新会議が開かれたら、京セラの稲盛さんとかいろんなメンバーの人がインタビューを受けていました。なぜか加藤さんだけはインタビューに出ていなかったですね。何か理由があるのかわかりませんけれども、一応取りまとめ役ということです。
 加藤先生はもともと慶應の環境情報学部という藤沢キャンパスの教授をやられていた方です。全然報道されませんけれども、もともとは大蔵官僚で、大蔵省の主計官です。それでお辞めになられていろんなことをやっていらっしゃる。
 事業仕分けということでは「構想日本」という団体をつくって、ずっと提唱されてきたのです。それがまさに成就している。ほんならあんた、やってみなはれ、てなことであの立場になられたということです。それがどうなっていくかちょっとわからないんですが、僕自身は毎月お会いさせていただいて来月もお会いするんですけど、そういう方が行政をやられるわけです。
 しかし、なかなか医療にはちょっと届かないかなという気がするんです、まだそういう刷新の状況がですね。やっぱり医療というのは医療現場、それを支えている医者とかそういった者のスピリットというかマインドというか、そういったものが変わらない限り、変わっていかないのかなと思います。どんな制度であろうが同じかなと思うんです。
 いろいろ話が飛びましたけど、前も言ったことがありますが、いつ考えても、いやこれはすごい時代になったね、抜本的な改革が起こるかもしれないとずっと思い続けても、実際にあまりそうは変わっていない。自分の日常というのは長い目で見たら変わっているのかもしれないけど、やはり自分に渡された責任を一つ一つ果たして積み重ねていく、それしかないのかなと特に最近は思うようになっております。
 職員一同もそういった形で、さんざんテレビにも紹介していただきました。最近、僕がこれまで出ていたレギュラー番組にあまり出てないものですからc。結構ほかの番組には出てるんですが、今日お会いした人に、「南淵先生、最近テレビに出てないですね」なんて言われていますが、タレントさんなんかもそうですけれども、テレビはずっと出てないと、「あいつ、最近出てないな」てなことで一発屋みたいに言われるんです(笑)。

文章は伝える道具という意味ではテレビの何千倍もの力がある

 だから僕はテレビに出だしたときから、テレビは浮き沈みが激しいですから本を書きなさい、ということをずっと言われてきました。
 僕は単純ですから、なるほどと思って本を書かせていただいた。やっぱり本は大きいですね。今日も性懲りもなく、同じような本が並んでましてね(笑)。みんな読んだとおっしゃるかもしれません。一応神社に行ったら必ず何かおみくじ引くみたいな感じで買っていけば、少しはご利益があるかもわからないです(笑)。
 僕が手術させていただいた方の中にはご自分で本を書かれている方もいらっしゃっいます、本はやっぱり大きいですね。テレビは出ても、「あ、出てましたよ」てなもんで、「何か言ってました」「さあ」で終わりです(笑)。「だれと出てました」「草野さん。たけしさん。だれだったかな」と全然覚えてない。出てるということしか覚えてないですね。
 例えばドキュメンタリーで放送されても、次の日に電話がかかってきて、「南淵先生は脳外科のスペシャリストらしいですね」といわれる(笑)。全然ちゃんと見てないんですね。僕の次に紹介している人と間違ってるじゃないですか。よくちゃんとテレビを見ていただきたい。 テレビに出ないと、それはそれで僕みたいに好奇心がある人間としてはちょっと寂しいような気もしないでもないですけれど、そんなことよりも、著作で味をしめた私ですから、今後も一生懸命に文章を書いていきたい。先ほどの山本さんの『リベルタ』の話にはびっくりしました。あれは倉田先生が忙しいから原稿書けないので、「ああ、そう」と言って僕が10分ぐらいで書いたんですけど。それを山本さんがお読みになられて「病気になっても健康」は感動しました。そんなことを書いていたかなと(笑)。でも文章というのは、伝える道具という点ではテレビなんかより、何百、何千倍もの力があると思います。
 そういう意味では、僕自身のことを言っているのではなくて皆さんもそうだと思います。できたら新聞なんかにもどんどん投稿して、大和成和病院はよかったとか、大和市の郊外に心臓専門のいい病院があるとか、一生懸命新聞に投稿していただければありがたい。この間、投稿があったんですね。和歌山の患者さんが投稿したらそれが記事に載りました。そういうことでぜひとも投稿などしていただければと思います。
 とにかく皆さん、ほんとに元気に一秒一秒、我々に与えられた時間を楽しく謳歌していただいていることが、ほんとにこちらにひしひしと伝わってきます。そういう意味で、何度も言うように、僕ら自身がものすごい力を与えられた今日でした。どうもご清聴ありがとうございました。(拍手)