南淵明宏先生(大崎病院・東京ハートセンター長) 

2013年5月3日(大和市総合福祉センターホール)

演題:「私の健康法--健康法とは病気になるのではないかという不安に戦くこと」

誘惑に負け炭水化物ダイエットはほころんでしまっています

 皆さん、こんにちは。いつも申し上げることですが、皆さんの元気なお顔を拝見させていただいてこちらが元気をいただくということで、この会は僕にとって、珠玉の時間というか、本当にありがたい会だと思って深く感謝する次第でございます。
 今日はテーマが「近況報告」と「健康法」ということです。先ほど「考心」第30号をちらっと見ていたら「炭水化物ダイエットをやっています」という僕のことが大見出しででかでかと出てまして、えらいこったなあと思いました。(笑)実は今日の朝体重計に乗ったら90キロあって、これはヤバイなあと思いました。
 これは言い訳ですが、外来をやってますと、患者さんが気を使っていろいろなものを持ってこられるんです、炭水化物を。(笑)餡この入ったやつとか。僕、粒餡大好きでね。落雁というのも最近ありました。厚木の人は厚木の名産だということで豆を持ってこられる。とにかくいろんな誘惑がありまして、炭水化物ダイエットというのは大部ほころびてしまっているような状況です。(笑)こんな大きなタイトルで太い字じゃなくて、もっと小さい小見出しみたいな感じで、炭水化物ダイエットをやってみようかなという状況になっているわけです。
 でも血糖値のほうは割としっかりコントロールされていまして、ヘモグロビンA1cが一気に1も下がりました。全く正常値になってそのままを維持できているという状況です。そういうことでこれは後で皆さん、患者さんも含めた大喜利のパネルディスカッションで、今日の話が盛り上がっていけばと思っているわけです。

自分の髪の毛の状態で気温や気圧、湿度などが分かってしまう

 さて近況報告です。東京に参りまして2年半がたちました。東京に行って状況は変わったということで、多くのスタッフが神奈川からついてきてくれました。とにかくエンジンがかかったというか、スイッチの入れ直しということで、今までの状況でも自分でやる手術が増えました。
 平たく言えば充実しているというか忙しくなってきており、さらにいろんな病院からお誘いがあります。去年の4月から北海道の札幌ハートセンターで月2回、5月からは沖縄の大浜第一病院でも手術のお手伝いをさせていただいております。沖縄は若干風土文化が違うのでしょうか。病院の宣伝をテレビでやっていたり、新聞に宣伝が載っていたりするわけですが、僕が心臓の手術をするということで、「沖縄タイムス」や「琉球新報」の片面全部を使って宣伝に出していただいて講演会をやったのです。
 会場は沖縄の県立美術館というところですが、宣伝し過ぎたせいか、たくさん人が来られて入りきれなくなりました。そこで同じ講演を2回やってくださいということになり、2部制の講演をやりました。これは初めての経験です。どういうふうに話したらいいか、同じジョークを2回使ってもいいものか。(笑)これは非常に迷いましたが、一部そうしました。これは本当に初めての経験でした。
 政治家の方に聞きますと、同じことを10回でも20回でも30回でも40回でも、一日中、家回りができなきゃ政治家にはなれない。政治家の方というのは各地の親睦会のようなものを転々と毎日回るわけです。ここの町内会、あっちの公民館といったところでずっと同じことを一貫して言わなきゃいけないということで大変な仕事だなと思いました。僕自身もそれに近いことを経験させていただいたということでびっくりしました。
 大浜第一病院というのは――実は僕が初めて那覇に行ったのは30年ぐらい前で、医者になったばかりの連休のときにちょうど遊びに行ったところです。泊まったホテルが高台にありまして、そこから泊港(とまりこう)という港を見ると、ハーリーレースをやっている。要するにドラゴンボートレースで、一生懸命漕いでるのを見て、何かすごいのをやってるなという感じでした。そのホテルは那覇東急ホテル。それがなくなりまして、同じ跡地に大浜第一病院ができたのです。そういうご縁みたいなものを感じました。
 札幌へは\\羽田から北海道(新千歳空港)へは1時間で着きます。ところが降りてから1時間半かかります。ご存じのように新千歳空港というのは地形的にも北海道の苫小牧の北側で道東。札幌は道央の日本海側に面して結構距離があって1時間半もかかります。ですから今の東京の病院から札幌に行くのに2時間半から3時間かかります。それでもそんな短い時間で行けてしまいます。
 一方、那覇の場合は飛行機が2時間半。ところが空港を降りてタクシーに乗ると10分で着いちゃうんです。ご存じのように那覇というのはものすごく便利で空港がすぐそばです。モノレールもあります。モノレールはゆっくりしか進みませんけれども都心に10分以内に着いちゃいます。ということで、僕にとっては両方とも所要時間は3時間ちょっとということです。飛行機に乗っている時間は沖縄のほうが長かったりします。
 そういうことでこういう立場で東京にいて、札幌と沖縄に定期的にお手伝いに行かせていただくというのは、非常に光栄なことだと思ってご披露させていただきました。
 「南淵先生はなかなか大変ですね」とおっしゃっていただくかもわかりませんけれど、僕のほうとしては大変満喫しております。エンジョイしております。(笑)こんなことは誰もできないだろうみたいに思ったりしています。それプラス、病院から離れますと非常にリラックスになります。
 家の近くにいますと、例えば今日この会が東京で開催されて、今の僕の勤務地の東京ハートセンターに5分、10分で行けるような場所だと、病院へ行って仕事をしてからこっちへ来て、またその後に呼ばれたりすることがあります。勤務地から離れるとそういうこともないわけで、500キロ離れると本当に気持ちが落ち着きます。ということで、そういったリラックスする一つの手段でもあるのかなと思います。

自分の髪の毛の状態で気温や気圧、湿度などが分かってしまう

 話が変わりますが、この写真を見て思いました。髪の毛がぐちゃぐちゃです。いつ見てもそうです。今日は割と整っています。(笑)前にお話ししたかも知れませんが、これはやっぱり大陸の空気です。今日は肌寒いです。湿気も低い。明らかに湿気や気圧だけじゃない要素です。何かよくわからない状況。単なる気象条件だけじゃない。とにかく大陸から空気が流れて来て、日本列島が大陸の空気に覆われると髪の毛が真っすぐになる。それから太平洋側から来た空気では一瞬にしてちりぢりになってしまいます。前回2回目は結構暖かかったのではないかとすぐわかるわけです。
 今日は朝、考心会に行こうかなと思って洋服を着ました。自分の髪の毛を見て、ありゃ天気がいいけど真っすぐだ、ということで、この背広も厚めのものを着てまいりました。そういうふうに自分の髪の毛ですぐさま天気や気温がわかってしまうという状況になっています。
 でも私の健康法は医者ということで、少しは皆さんよりも科学的に自分の体を観察しているかなとは思うんです。しかしどうでしょうか。皆さんは患者さんということで手術をお受けになられ、いろんな経験並びに自分自身の体の反応、あるいは体の痛みとか熱とか、のどが渇いた、食欲など、そんなものがどのように変遷していくかということを体験された。眠る、眠れない、あるいは眠り過ぎをどのようにコントロールしていこうかということ。これは皆さん、自分の体を材料にしてさまざまなことを実証され、実践されていろいろ工夫されていると思います。
 そういうご経験豊富な方々を前にして、自分自身がたかが医者であるということで、本で読んだ話みたいなものを披露するのはまことに僣越であると思います。でも、医者だって患者を診ているじゃないかということがあります。診ているといっても、ちょこっとしか診ていません。一瞬しか診てなくて、患者さんが退院しちゃったら顔も忘れてしまうという話もあるわけです。

人間の体の成り立ちは1つの体の中でバランスをとっていること

 外来だってぱぱっと診て、はいさよならですからね。ちゃんと患者さんの毎日の状況を把握しているわけではない。患者さんはいろんなことをおっしゃいます、血圧が朝起きたら高いなという人が多い中で低いという人もいます。中には体温が低いけどどうしましょうなんてことを言われたり、実はよくわからない人はいっぱいいるんです。何だこの人はみたいなことで、本当に患者さんはさまざまです。
 人間の動き、人間の体の成り立ちというのは何らかの法則性もあるのでしょうけれども、それぞれがそれぞれに一つの体の中でバランスをとっていると思っています。バランスというものを、変なしょうもないテレビの宣伝を見てサプリメントをごっそり買い込んで崩すようなことがないようにというのは一番大事なことかなと思います。
 健康法ということでも、皆さんは自分の体で何となく慣らし運転というわけじゃなくて、一生懸命今まで運転をされてきているわけです。その延長線上にあるものということで、いろんな知識をひけらかす人もいます。僕も一応医者ですから、この立場でいろんなもっともらしいことは言いますけれども、あんまり信用しないでほしいんです。(笑)自分の感覚が一番大事ですからね、ほんとに。というと、身もふたもありませんけれど(笑)。

酸素は保存できないので心臓は常に動いていないといけない

 その中でも幾つか披露させていただきます。僕は心臓が専門ということでいつも申し上げます。心臓というのは1日10万回、勝手に動いていまして何でこれが動いているんだろう。エネルギー、動力は何だろうということで、そのエネルギーを活用できたら人類のエネルギー問題もなくなっちゃうんじゃないかと思うぐらいです。
 生物学というか医学では、心臓の筋肉の細胞はタンパク質というのがあって、そのタンパク質が折り重なるようにスライドをする。これが筋肉の線維を縮ませる、あと力が抜けると弛緩つまり伸びるということをやっているという運動エネルギー。その運動エネルギーの源は酸素である、あるいはグルコース、要するに炭水化物であるということです。特に心臓はほとんどが酸素であるということがいわれています。
 どうして心臓は動いているのか、あるいは動いていなければならないのかということです。心臓自身は酸素で動いているわけです。要するに酸素を取り込むのは肺ですが、それを血液に乗せて、皆さんご存じの冠動脈を通じて血液に含まれている酸素を心臓の筋肉自身も取り入れるということです。
 そういう理屈もさることながら、どうして心臓はずっと動いていなければいけないのか。7秒止まったら意識がなくなる、4分止まったら戻らないという事態に陥るのか。これは一つの見方、表現の仕方、あるいは理解の仕方なのかもしれませんが、酸素だけが体の中で保存できないからです。
 皆さん、脂肪を保存している人はたくさんいます。(笑)僕もそのうちの一人です。大震災で食事がなくなっても3カ月ぐらいは大丈夫だろうという保存食がおなかの中にあるわけです。しかしこの酸素だけは一瞬でなくなるのです。人間の体は酸素を吸って取り込みすぐ使っちゃう、全部使っちゃうんです。そして次の酸素を必要とする。酸素を体の中でとどめ置けないのです。
 そういうことが一番のロジックであり理由となって、まず呼吸しなければいけない。呼吸して取り入れた酸素をいち早く体の隅々まで送らないといけない。心臓自身も必要だし、脳にも送らなきゃいけない。地球上の生物すべてにその宿命があるということなので、酸素というものがそういう特徴を持っているわけです。我々の生命というものが酸素によって維持されている、規定されている、支配されているというか、まさに制限されているという言い方ができるかもしれません。そういう理屈があるので心臓は常に動いていないといけないというわけです。
 例えば脳だったら寝ているときも仕事をしているかもしれませんが、休んで脳が動かなくていいよという時期もあるわけです。日常、我々の命を維持する、生殖を維持するために、肝臓もそうですし、腎臓もそういう部分があると思います。しかし心臓だけはそうやって体中に常に酸素を送っていなければならない。それは体が常に酸素を必要とするからです。体のすべての部分に酸素を蓄えておくことができない。そういう理屈であるという視点です。
 なるほどそうか、酸素なのかということもありますが、やはり物事が起こっている現象をどう理解してどう解釈するかという根本的な思索の練習にもなるのかなと思って、いろんな若い方、あるいは予備校生にもお題として提供させていただいて、そこでみんなが考えたりすることの題材にさせていただこうと思います。さて心臓というのは常に動いているわけです。血液を体中に送っているということです。

肺の動き=呼吸が心臓の動きを大きく助けている

 これでもう一つ大事なことは、肺がすぐ隣にあるので呼吸と密接に連動しているわけです。呼吸というのも心臓の動きを非常に大きく助けています。心臓が血液をぎゅっと収縮して押し出す。収縮ということは心臓が体積を小さくする。そうすると中に入っている血液がびょんと出ていくということです。
 実はよく似た構造で肺もそうです。肺も息を吸ったら膨らんで、ふっと出したら小さくなるということです。肺と同じ場所に心臓も入っているわけです。心臓は独自に拍動していますけれど、肺は呼吸ですからもっとゆっくり1分間に6回あるいは10回ぐらい、心臓は1分間に60回、70回ということで10倍ぐらいは心臓の方が動いています。タイミングが全く同じではないですけれども心臓をもろに助けています。呼吸して息を吸ったら心臓に血液が同じように戻ってくるのです。
 息を吸ったら口から空気が入ってくるだけじゃなくて、胸郭全部のところに入り込んでいる血管から血液が胸郭に戻ってくる。胸郭には心臓がありますから心臓に戻ってくるのと同じです。同じくふっと空気を吐けば心臓がぎゅっと圧迫されるわけです。心臓が収縮するのと同じ、肺が潰されて空気が出ていくことと同じ。だからふっと吐くことによって心臓から血液が出ていくわけです。だから呼吸するだけでも心臓の血液を引き上げて押し出すという力をもろに助けているわけです。
 さて、心臓は血液が流れてきて膨らみます。血液を吸い上げることは心臓にはできないのです。呼吸しかできない。要するに胸郭を膨らませる、陰圧にする、マイナスのプレッシャーというか、急にするということは胸郭にしかできない。だから呼吸にしかできない、血液の循環に対する働きがあるわけです。
 ということで呼吸というのは絶対に必要です。呼吸することによって血液が戻る。血液が送られるのは心臓です。呼吸というのは血液を送るのを助けることです。ふーっと吐いたときに心臓と同じ働きで胸郭から血液がぱっと出ていくということです。今度は血液が戻るという力を持っている、それを発揮できるのは胸郭、呼吸の動き、胸の動きだけです。ですから呼吸というのは非常に大事だし、また呼吸を一生懸命する、あるいは呼吸が強いということは心臓も強いに匹敵すると言っても過言ではないと思います。
 ですから、歌うとか――後でパネルディスカッションにも出てこられる大貫さんも詩吟の先生でいらっしゃるわけです。そういったことというのは体全体の血液の循環には大変大きな、いい意味の寄与をしているといえるわけです。

息が上がるのは酸素が足りないのでなく心臓を助けている証拠

 皆さん「息が上がる」という言葉をご存じだと思います。「はっ、はっ、はっ」と、疲れるとこうなります。これは酸素が足りないわけじゃないのです。心臓を助けているんです。心臓の血液の流れがあまりおぼつかないというか、呼吸でもって心臓が大変だから胸郭の動きで助けてよ、サポートしてよということで息が上がっているわけです。
 もちろん酸素も入っていく、二酸化炭素も出ていくということですが、それだけではなくて、心臓の循環を助けるということで息が上がる。息が上がるというのは非常に理にかなっています。また運動すれば息が上がるというのが普通です。心臓の動きが本当に弱くなってくると、例えば急性心筋梗塞でICUに入ってきて心臓の動きが本当に弱いとなると、意識がしっかりある方というのは呼吸が「はっはっはっはっ」という感じで、すごく速く浅くなってきます。それは本当に危ない兆候です。それほど呼吸というのは心臓を助けています。
 そういう機能というのを皆さん、あるいは多くの方はもちろんご存じないのですが、我々が知らないうちにそういうシステムが出来上がっている、これはすごいことです。まさに仏教でいうところの、我々が知らないうちに、すでに阿弥陀如来様に極楽浄土に行くことを約束されているとか、――これは浄土宗です。実は生まれる前にお釈迦様に会って何代か頑張れば成仏できるという約束をしているとか――これは日蓮宗です。まさにそういう全然知らない間にすごいものがあるんだという点で共通すべく、我々の命を支えるシステムというのはとんでもない素晴らしい、あるいは我々が気付かないことというのは山ほどまだこれからも出てくるでしょう。それぐらいのものというのは我々に備わっているということです。
 だからひょっとして人類が滅亡するまで全然知らないかもしれないような、いわば我々の生命維持の健康法というべきでしょうか。そんなものは実は本当は山ほどあるんだということです。人間がにわか的な知識で、あれがいい、これがいいというのはまさに滑稽というか、大きな力の前には意味がない。意味がないとは言いませんけれど、いろんな要望に貢献するようなことは実はあるんです。そういうものがあるということで割と人間の体はうまくできているなということで、たかをくくっていいんじゃないかなといつも思っています。そういうことで呼吸と心臓のお話をしました。

心臓の温度=熱源が体中をコントロールしている

 もう一つ、日常の生活でだんだん暑くなってきまして熱中症です。これは以前もお話ししました。心臓が体中に血液を送っていますけれど、血液を送るものは何か。酸素、栄養分といろいろありますが、温度もあります。温度を一定に保つということもあります。今こうやって皆さん休んで普通に座って腰かけて話を聞いているのは、皆さんの温度を維持している熱源です。温度の泉です。熱源は心臓です。心臓が動いている、筋肉が一生懸命活動する。摩擦熱みたいな言い方をしますが、とにかく熱を作っています。
 その熱が体中に血液で送られているということで、別の言い方をすると心臓が常に一番、体の中で温度が高いのです。我々が体温というとこの器械で測るわけです。これは心臓の温度が伝わっていって35度8分とか36度とか。実際に心臓というのは37度8分あるわけです。もっと奥の深部、人間の心の部分、コアの部分というのはもっと高い、要するに37度8分ぐらいでずっと保たれています。その温度が体中に送られているということです。寒いときも暑いときもそうです。心臓に対しての温度でもって体中をコントロールできるということです。

熱中症で効率よく体を冷やすにはまず心臓を冷やすこと

 熱中症ということでどんどん熱くなって体中のいろんな機能が、脳も含めて体温が上がり過ぎて機能しなくなってくる。ではどうすればいいか、どう冷やせばいいか。心臓が動いているうちは心臓を冷やせばいいわけです。心臓を冷やせば最も効率的に体全体の温度が下がります。
 例えば皮膚を冷やす、手を冷やす。表面を冷やすだけで、血液がぐるぐる回っているから最終的には間接的に体中が全部冷えることにはなるのですが、一番効率的にはまず心臓を冷やす。どうすればいいか。水を飲むということです。普通の水道水でも10度から20度ぐらいあるわけです。それでもだいぶ冷えます。体温よりは圧倒的に低いからです。
 それから心臓のすぐ後ろには食道があり、心臓のすぐ下に胃があります。水を飲むだけで心臓の温度はぐんと下がります。心臓の温度が下がればその下がった温度の血液が体中にぐるぐる回っていくということです。寒いときも同じです。低体温というときも胃の中に無理やり熱湯と言うと変ですけど、温かい水を入れればそれで心臓が温まり、温まった心臓で体中に温まった血液が流れていくということです。
 心臓は体中に絶えず熱を貯めて効率的にすごい量の血液――1分間に4リットルの血液を体中に送っているわけです。それぐらいのいわゆるヒートポンプというかデロンギの油圧ヒーターと同じです。温かかったり冷たかったりというものを体中に送っているというロジックから、心臓を温めたり冷やしたりするということは非常に効率的だという話も一つさせていただきました。

人間は自分が知らないところで体調をうまくコントロールされている

 あと不整脈ということは誰しも聞きます。議員バッジをつけている人は、不整脈があるとほとんどの方がおっしゃいます。お会いして雑談していると、「先生、最近不整脈みたいに心臓がどきどきする、脈が飛ぶ」とおっしゃいます。これは精神的なストレスというのが非常に大きいようです。
 ただ、一つ言えることは精神的なストレスもそうですけれども、疲れがたまる、あるいは体のバランスが狂ってくる。太ってくることも含めてです。もともと太っている人はそんなに問題はないですけれど急に太ってきた。何らかのストレスで食べるばかり、運動は減ると太ってくる。そうなると不整脈が出てきます。不整脈は、全般の体の中の異常を代表しておかしいなと言っている信号です。だからそういうものを全部取り除けばストレスがなくなり食生活も改善し、運動もするようになれば不整脈がなくなるという方もたくさんいらっしゃいます。
 高血圧もそうです。医者と患者さんとの関係では話題にならないようないろんなストレスの原因、家庭の問題とかあると思いますが、ある日突然に薬を使わなくても血圧が下がる、ある日突然不整脈がいっぱい出ていたのが急に出なくなるということは非常によく経験します。
 ですから人間というものは自分が知らないところで体調がすごくうまくコントロールされているんだというところがあります。また自分が全然知らないところですごくストレスになっていることというのも結構あるのではないかなと思います。その辺のところを自分でうーんと考えても見つからないことがあるのかもしれません。
 反対に、例えば不整脈が出るとか、あるいは血圧がぐんと上がるとか、それは何らかの端緒かもしれません。ただの食べ過ぎとか、ただの運動不足とかそういう単純なものではなくて、もっと現実的な一つの病根と申しましょうか。例えば精神的なストレスとか、生活の仕方――引っ越しをしたとか、あるいは部屋の模様替えをして寝方が変になったとか。あるいは食生活がある時からがらっと変わったとか、変なサプリメントをだまされて飲んでいるとか。そういうふうなことでバランスを崩していく一つのアラームではないかというように、長らく患者さんを診ていてそう思ったりすることがあります。

不安があるからこそ人間はなにかしよう、何か努力しようと思う

 考心会でアンケート調査をおやりになられたり、患者の皆さんの体験談が本になったりしています。どうしたら再発を防げるかみたいなことで第2弾が出ました。医者的に言うと、今から手術を受ける人もいるわけですから、ああいう本が並んでいると今から手術を受ける人は、これは手術を受けてもやっぱり再発するのかなということで非常によろしくない内容ではありますが……。仕方がないから病院にも置いてはいます。とにかくみんなあれを見たら再発だと思っちゃいます。
 でも再発するかどうかは別として、やっぱり患者さんというのは手術が終わって、ああよかったな、これで家の銀行ローンが全部終わったなみたいな気持ちには決してならない。ちょっと気を付けないとまたえらいことになるかもしれないということを常に考えています。患者さんにもよるのでしょうけれども、より不安になる人もいます。手術が終わってすべてデータを見せて「全部うまくいきましたよ」と言っても、「えー本当に」といってとにかく不安になる人もいます。
 次の段階はその不安というものを自分で律しようとお考えになる方がたくさんいらっしゃいます。これは人間の本能だと思います。自分で何らかの理性的、合理的な法則あるいは行動でもって目の前の問題を対処しようということです。本当に再発が起こるかどうかわからない。わからないことに対しての不安、わからない不安というものを取り除こうということでの行動。これは人間の本質です。不安というものがあるからこそ、人間は何かしようと思う、何か努力しようと思う。
 最近読んだ本ではミシェル・フーコーという哲学者が言っています。要するに監獄、病院、学校とか同じように言い表していますが、すごく規律の厳しいところに自分が放り込まれることによって、ある意味でそこに安住というか安寧というか、そういう権威にある意味守られるという、不安からの逃避が不安の解消になるということです。
 だから何がしかのご利益のあるもの、厳しいけれどぜひそれに従いたいという絶対的に信頼できる権威というものがあって、それを信じて自分で一生懸命それに隷属し服従しようという考えというものが人間にはもともと根本にあるということです。
 ドイツ人で同じ時代、エーリッヒ・フロムという人は「自由からの逃走」という言い方をしています。自由であることによる不安。不安というのは自由である。はっきりわからないことが多過ぎるということ。そういう意味では自由で、一般の自由とはちょっと違う意味かもしれませんが、とにかくその自由から逃げたい。そこで権威にすがる権威主義になっていくという流れです。
 何が言いたいかと言いますと、患者さんの手術が終わって再発があるんじゃないか、あるいは手術が終わらなくても病気になるんじゃないかという不安です。情報がない。何をやっていいかわからない。そこで何らかの権威あるいは信奉できる、信頼できる、信じ込めるロジック、理屈の体系があって、そこに自分の体をひれ伏して一生懸命服従して何でも言うことを聞きます。そういうものがないものかということをみんな探そうとします。これは普通の人間はみんなそうです。
 変な形で宗教にゆがんでいく人もいるでしょう。あるいは全然そんなの関係ないやということで過ごす方もいらっしゃるのかもしれません。多くの理性的な人というのは何かにすがりたいというよりも、さらに突っ込んで言えば、何かに服従したいという気持ちというものがあると思います。これは全然間違いじゃないし、我々人間というのはそういう本質というか本体を持っていることを説明したいのです。
 何かに服従する対象としてそういった健康法をまず頭の中で欲する、そういったものがないものかなということだと思います。でもそれは全然間違いではないし、まさにそうやって「一病息災」という言葉のまさにそのロジックです。根本的な説明です。つまり一つの病気があることによって何かに服従するという謙虚さが生まれるということでその方はずっと健康を維持するだろうし、またそういった方は別の病気もすぐ見つかるということだと思います。


 
毎日自分を観察し律する心の姿勢が一番の健康につながる

 ある意味、皆さんは再発するんじゃないかという不安に存分におののくべきです。そういうことによって健康になるのではないかということで、何か矛盾しているような、あるいは変な言い方かもしれませんが、僕ならではの言い方かもしれません。つまり健康法とは病気になるのではないかという不安におののくことです。そういうことは一つあるのかなと思っています。
 そういうことによって不安が強ければ――受験勉強と同じで、これはやばい大変だ、一生懸命勉強しないと健康に過ごせないぞということで、動機というかエネルギーの源になっていくということです。「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」ということわざもあります。同じく「喉元過ぎれば…」ということわざもあります。いろんな解釈があり、相反するものもあります――病気をしたから、でもすぐ忘れちゃうという人と、病気したから二度とああいうことがないようにと思う人と、両方あるのかもしれません。
 でも多くの人、理性的な方、少なくともこういう会合に来られる方というのは後者、つまり一回病気したから、もっと今後は自分の健康、自分の人生というものを医学的に合理的に進めたいと思っていらっしゃる方だと思います。そういう方は大変動機がはっきりしている、エネルギーもある、実際に実践もされていくと思います。だからといって、じゃあこれがいいんだというのはなくて、最初に申し上げたように、皆さん自分自身の毎日で自分を観察し、最終的には自分をある程度律することという、心の姿勢、気持ちの姿勢というのが一番の健康につながるのかなと思います。
 僕が炭水化物ダイエット、炭水化物を食べないみたいな極端なことを言っても、そういう考え方もあるし、そういう理屈もあるのかもしれない。それはそれでやりたい人がやれみたいなことで、皆さんはそれなりにいろいろお考えになるというのがいいのではないかなとつくづく思います。

生き残っている人間はできることがあれば何かやらなけれなならない

 なぜ医者ということであまり偉そうに言いたくないか。もう一つはこうやって僕も55年間生きて、この中には90年間生きてらっしゃるという方もいらっしゃいます。大変長く生きておられますと亡くなる方も多いのです。我々の中でというのではなくて、我々の周りで亡くなっていく方が多かったりします。
 例えばテレビをつけると、同じぐらいの年の人が死んじゃったりとか。この間も俳優の三國連太郎さんが亡くなったといっていろんなコメントを出す方がいらっしゃったりするわけです。あれ、この人まだ生きていたのみたいに逆にびっくりしちゃうこともあります。あるいは「訃報」と書いたテレビのニュースを見たら、島倉千代子さんが映っていたので、あ、島倉千代子さんが死んだんだと思ったら違っていました。亡くなったのは三國連太郎さんだったりして、何かみんな死んじまうよ、みたいなことに本当になってきていますよね。
 田端義夫さんも亡くなられたりしているわけです。あの元気な若いときの歌はよかったなということでみんな非常に寂しい思いをしています。でも、ある意味、自分たちは残されているんです。生き残っているということは生き残るように命じられているということです。その生き残っている我々はできることがあればやらなければいけない。今生きている我々のこの一瞬一瞬を思いっきり享受して楽しんで、いろんな人たちにいい形でかかわっていろんなものを残していくということに尽きるんじゃないかなと思ったりしております。
 実は今晩も僕の娘を一生懸命指導していただいた高校の担任の先生が亡くなられたということでお通夜があり、また近しい人の家族が亡くなったりとかそんなことばかりです。皆さんも日常に生きていろんな人とかかわっていれば当然そういった訃報であったり、あるいはお通夜とかそういうところに行くということです。でもそのときに感じることは、人生ははかないなということ。それから自分たちは残されている、生き残っているんだということだと思います。僕なんかの若造が僣越に言うことでもないのかもしれません。

健康はすごいこと、それを肯定して人生を楽しみ幸せを堪能する

 何が言いたいかと言いますと、健康じゃないか、それはすごいじゃないかということです。そこの部分をまず肯定することから始める。病気になって、何でこんな病気になったんだろうな、自分は何かおかしいんじゃない、間違っていたんじゃないかと思うのとは全然違いますよね。皆さん、本当にある部分、心臓が悪かった。僕や藤崎先生が手術をさせていただいた。でもその後は元気になっているわけです。僕や藤崎先生だけの力じゃなくて、そうやって元気に生きるストーリー、元気に生きるパワーがもともとあったわけです。
 そういったところでむしろ自分たちは選ばれて、これで元気になってこの世に今存在し続けているというお考えでもって、これからも皆さんが自分だけのことだけじゃなくて、もっといろいろこの社会に貢献するような形で元気に、そして家族の皆さんが仲よく一人でも多くの人を幸せにしていただきたいと思います。
 でもその前にやっぱり自分が幸せにならなきゃいけないです。だから思いっきり自分が幸せだと思い込んで幸せを堪能する、満喫するということが大事かなと思います。ですから皆さん、毎日毎日楽しく充実しておもしろおかしく、幸せだというような瞬間を朝から晩まで存分に味わっていただけるというのが一番の健康法だと思っております。以上、非常につたないお話ですけれど、これにて終わります。(拍手)