2001年10月8日(藤沢市民会館)

医師と患者の関係

南淵明宏

大和成和病院心臓外科部長

 今日は雨の中遠いところからもご出席いただきましてありがとうございました。こういう場所で皆さんにお会いできることは、手術をした医師としてとても嬉しく言葉では言い表せない思いがいたします。
 今日は私の話の他に、フォトジャーナリストの伊藤隼也さんをお招きして医療事故という今までとは異なった切り口でお話をしていただきます。
 私自身もいろいろなメディアに出させていただいております。もちろん学会でも論文を書いておりますが、それ以外のところで大変珍重していただいている風潮が出てきました。要は今まで私が日本の医療を批判してきたこと、その切り口に徐々に社会の色々な分野の人たちが耳を傾けていただくようになりました。
 ズバリ申しますと、医療訴訟と申しますか医療過誤の問題です。幸い私自身にはそうした経験はありませんが、よその病院で行なわれた手術に関して訴訟にならないだろうかと弁護士さんや患者さんが私のところに意見を聞きに来るようになりました。特にこの1年、増えてきたように思います。
 今日お話をいただく伊藤隼也さんの医療事故市民オンブズマンは、患者さん、被害者の中で生まれた会です。それと弁護士さんが医療訴訟を扱う医療事故情報センターというのがあります。また医療事故調査会というのがあって、これは医者の会ですね。私はそのいずれにも入っていますが、それぞれに温度差があり面白くて大変興味があります。
 そういうふうな中で、昨今いろいろな情報が開示されるという流れが出てきました。これはコピーとかデジカメとかによる情報の伝播ということが非常に大きく影響しています。
 ある病院でやっていることがいいことなのか悪いことなのか、たくさん患者さんが集まっているのかどうなのかということは、非常にはっきりと社会の人たちに分かるようになってきました。これは医療だけじゃなくて様々な分野に言えるわけで、つまりお役人がやっていること、あるいは会社のやっていること、いろんなことが嘘をつけなくなってきています。
 ですから、患者さんは病院の中身を知る、あるいはちょっと自分の思った通りにならなかったということで、納得のいく合理的な説明を求めるという状況があちこちで起きています。
 ここにいらっしゃる多くの患者さんが心臓の手術を受けましたと言うと、必ずどこの大学病院ですかという質問が返ってきます。これまで民間病院というところでは、リスクの高い手術はあまりやられないんじゃないかという感覚があったと思います。私は8年前から手術をやることになったわけですが、国公立の病院、あるいは大学病院でもない、そういうお墨付がない民間病院で手術をやっています。これは商売でやっているわけでして、誰にもはばからなく言うんですが、患者さんにどうやって納得してもらうか、どうやって信頼してもらうかということを考えると、やはり医師として本当のことを言うしかないだろうと思います。
 この8年の間、特に手術がうまくいったというわけではない方々の自分なりの対処というものが、幸か不幸か評価を得てきているのではないか、そして得てきたものが、最近のメディアに取り上げていただくという結果につながっています。
 ある新聞の方が「どうして南淵先生は他のお医者さんと違うんでしょうか」と聞かれます。私には全然違うつもりはないんですね。一生懸命手術して、正直にお話しすることが一番いいんじゃないかと思っています。私は43歳ですが、実は18年前に医者になりました。医者になりたては研修医です。給料が安くて食べていけないので、月に1回土・日のバイトに行っていた時期です。卒業して半年ぐらいですね。
 1984年の1月3日、今でも忘れはしませんが、夜中に脳梗塞と思われる74歳の患者さんが入ってきました。ところが私は脳梗塞の患者さんを診たことがない、治療もやったことがない。薬を投与するわけですが、それを使うと出血しやすくなります。例えば胃から出血する。一番怖いのは脳梗塞を起こした脳のある部分が駄目になってしまう。患者さんは命は大丈夫だが、目がグルグル回る、頭は痛い、意識がもうろうとすると言う。血栓溶解剤を使えば元気になるかもしれないが、反対にそのままあの世に行ってしまうかも知れない。これは非常に困ったということで、すべてを患者さんの奥さんに本当に困った様子で説明させていただきました。1年目だということもあって実は治療の経験がないんですよと、そしたら奥さんが目を輝かせて驚いていました。医者としての自分自身のリスクを考えながら、あるいはそれに賭けてみる、私にとってそういう経験がすごく大きく自分自身を左右しました。
 私はバイパス手術で血管を3本、4本とつなぎますが、それを逆手をとるといったら変ですが、明日手術というとき患者さんに、「あなた不安でしょ、僕も不安なんですよ」と言います。その時の患者さんの顔が一瞬解き放たれたようににこやかになる。皆さんは余計不安になると仰るかもしれませんが、私はそういう感触を得ています。つまり本当のことを言う、自分の粗(あら)をさらけ出すことによって、患者と医者の間の距離感を短くして、あるいはとっぱらって考えてみるという人間関係ですね。
 私自身は、よく家のローンのためにやっていると言いますが、あえてそういうことを話題にすることで、皆さんとの距離感をなくしていく。医者と患者の関係というのが一番大事ですし、頻度が高いのですが、こういう小さな病院でやっているにもかかわらず、世の中の多くの人に、評価をしていただき、そういう患者さんに正に自分自身が育てられてきたと思っております。
 人間はいい加減なもので、患者さんとの間にいろいろな経験があると、180度いままでの考え方が変わったり、もうやめようと思ったり、難しい手術をうまくやるとまた次もやろうと思ったり、そういう振動ですね、上になったり下になったりして気持ちがゆれ動く。そういう時に自分を奮いたたせる上で、患者さんの顔を思い出しています。
 大体この会でお話させていただく時は、何か非常に沈んでいる時が多かったですね。5月の時もそうでした。いろいろな患者さんのことを嘆いたり、重症の人を心配したり沈んだ時が多かった。今日は雨が振ったせいか、全然そうではなくて勇気百倍的な気持ちですが、何故か今までずっと沈んだ気持ちで、こうしてお遭いすると皆さんに元気づけられるというパターンでした。
 7月から帝京大学市原病院から助教授をやっておられた小坂眞一先生が副院長という形でお見えになりました。それと倉田篤先生が独り立ちできるようになり、私自身の心臓外科のイメージが大和成和病院という小さな病院でだんだん実現しつつあります。
 マッキンゼーの報告書というのがあります。医療の経済の分野の話では必ず引用されますが、「デパートは何でも売っているけれども、欲しいものはなにもない」、最近の報告書では「総合」と名のつくものは駄目だと書かれています。総合病院というのは一つの病院の格であって、総合と名をつけるには耳鼻科がないといけないとか、提携している病院が必要だとか、認可を受けるための色々なしばりがあります。これまでは厚生省の認可を受けるため、何でもありますよという志向だったわけですが、今年の春ぐらいから病院経営者の中でもだんだん意識が変わってきました。「フオーカス・ファクトリー・ユニット」と言いますが、要するに専門化ですね、大和成和病院のように99床程度、場所さえあれば患者さんを大勢手術することが出来る、経済的にも技術的にも非常に高いものを維持できる、そういう病院が増えてきております。
 そういうところでは、病院の未来像といいますか、患者さんに対して医療の風景は何かということをきちんと表に出しています。そうでないと、あそこの病院では何をやっているんだろう、何をやっているか分からないというのでは患者さんが来ませんので、どんどんそういう方向に向かっていくだろうと思います。