2007年10月8日講演会にて(大和市保健福祉センター)

南淵明宏(大和成和病院院長・心臓病センター長)

 民間病院も公立病院も、日本全国の病院で医者がいなくなった

 皆さん、こんにちは。本日はこの後に控えていらっしゃいます草野仁さんの前座、それまでの場つなぎということでよろしくお願いします。(笑) 
 いつもの話ですが、今日ここで皆さんの元気なお顔を拝見いたしますと不思議な力を注入されます。心臓外科の仕事に限らず、どんな仕事でもそうですが、なかなか思い通りにいかなかったり、思い通りにいったけれど誤解を受けたりするという場合があります。昨今、特に病院は社会から厳しい目を向けられています。医療関係者の間では、みんな南淵のせいだと言われるわけです(笑)が、私のせいかどうかはわかりません。
 ところが、患者さんが病院でいろいろクレームを言うと新聞に載ったりします。皆さんもご存じのように、かつては「病院は患者をたらい回しにしてひどいじゃないか」という論調がありましたが、最近ではたらい回しにしてもしようがないぐらいお医者さんは大変だというふうに、医者に対して同情するような論調になってきています。

 それもそのはずです。医者がいなくなってきたわけですから。民間病院であろうが、国公立病院であろうが、中堅の脂の乗り切った40代ぐらいのお医者さん、それから卒業したばかりの若いお医者さんですが、皆さん、どこへ行っちゃったんでしょうという感じで、医療現場に医者がいないという声が随所から聞こえてきます。
 地方は地方で医者がいない、都会は都会で医者がいない。この近辺の市民病院や県立病院もそうなんです。私もある県立の病院から、「心臓外科のお医者さんで、よくできる人を紹介してほしい。どなたか目に留まった人はいませんか」という相談を受けたりします。その県立病院は定員医師4人のところ、3人いらっしゃる。一番トップが50代、その後は若いのがいると聞いておりましたが、詳しく聞きますと、50代の下の若いというのは、45歳と43歳。(笑)その下は全然いないんです。
 皆さん、ご存じのように、医師国家試験は24〜25歳で通ります。その24〜25歳の人たちは、45歳の間までどこに行っちゃっているのかという疑問が起こるぐらいです。これはある遠方の市民病院の話ですが、私が手術した患者さんが脳の状況がちょっと悪いということで、わざわざうちの病院まで来られました。近隣の市民病院へどうして行かなかったんですかと聞くと、「いや、あんなところは駄目ですよ、全然医者がいないんです。駄目というよりも、そこのお医者さんがどうこうというよりも、医者がいないんです、もう半分ぐらいしかいない」ということなんですね。
 つい最近も、東京都のこれも国公立に準ずる大きな病院ですが、そこから私のところに手術をお願いしますということでご紹介いただいたので、手術の後そちらにお戻ししたというか。そちらの外来に通っていただいたわけですが、そこの病院も外来を診るお医者さんがいないということで、その患者さんはまたうちの病院の外来で診るということになりました。
 数年ぐらい前までは、大学病院や市民病院からご紹介を受けると、術後またもとの病院に戻られます。しかし、そういう大きな病院もどんどん担当の医者が代わってしまうから嫌だということで、また大和成和病院の外来に戻られる方もいらっしゃったんですが、今はそういうレベルではなくて、そこの病院に医者がいないということで診てくれない、診るお医者さんがいないんですね。ですから診てくれる、くれない以前の問題になっています。

日本の医療政策が原因で医者の働く環境が非常に切迫化している

 医者がいないということで、ここ半年ぐらい、特に7月あたりからその傾向が顕著になってきました。どこの病院に聞いても、あるいは私の同業者である大学教授に聞きましても、若い人も若くない人もみんないなくなっちゃったということです。とにかく大変な状況になってきました。その原因の一端を私も担っているのかもしれません。しかしそれは本当に異常なので、やはり原因というのは医療政策と申しましょうか、あるいは医者が働く環境が非常に切迫している状況になってきたといえると思います。
 4月に保険診療点数の改訂がありました。皆さんご存じのように医療費をとにかく抑制しないといけないという議論があります。なぜ医療費を抑制しないといけないのか全然わかりません。医療費を増やしてもいいんじゃないかという意見が出てもいいと思うんです。医療費を抑制しないといけないかどうかということをまず議論しないといけないのに、その辺の議論は全く飛ばして、とにかく医療費を抑制しないといけないというお題目があって、それに従って医療費がどんどん削られていきます。保険点数がどんどん削られていく。今年の4月でがたっと削られました。全体で3.7%ですか。当然、患者さんの負担も増えていきます。高齢社会になると、医療費が増えていくのは当たり前ですが、にもかかわらず医療費を減らさないといけないというふうに決まってしまっています。
 しかし、だれもがもっとほかで税金の無駄遣いしているところはいっぱいあるんじゃないかと思っています。とにかくここに来て非常に目立つような形で、日本の全国の病院が厳しい状況に追いやられるようになりました。それが一つの原因で、ちょっと遅れて2、3カ月後ですね、今年の7月ぐらいからですが、お医者さんたちの希望、やる気というか、モチベーションというか、そういったものが徐々にそがれていきました。それが具体的な形となって仕事の量を減らしていく、あるいはお医者さん自身が辞めちゃっていなくなるという現象が各地で表れています。
 私自身も去年、熱を出して入院したり、この間も大腸ファイバースコープをやりましたが、小さなポリープが一つ見つかって、まだまだ何とか大丈夫かなとは思っているんですが、いつ自分自身も病気になるかわからない。医者だからといって自分が病気にならないとは限らないし、また病気になったときにどこの病院に行けばいいのか、あるいは病院がなくなってしまう可能性もあるという、大変な時代になってきたなと思います。

教育再生委員会と同じように医療再生委員会も必要です

 昨年、教育再生委員会という機関ができました。そろそろ医療再生委員会みたいなものが出来上がっていくはずだとは思うんですが、医療の世界というのは医師会があったり、あるいは学会があったりして、いろいろなものがたくさんあります。ちょうど室町時代の幕府であったり、朝廷であったり、あるいは関東管領であったりということで、三重、四重支配になっていて、なかなか混とんとしております。また、医療と言っても医者だけではありません。看護師さんの団体もあります。実際は看護師さんのほうが、数は多いわけです。さらに看護師さんの団体から国会議員になっている人のほうが圧倒的に多いということもあって、看護師さんの団体が非常に強いわけですが、一つにまとまっているので、まだいいかなと思うんです。
 しかし、医者の方は、ばらばらです。本当に『魏志倭人伝』にあるような、倭国乱れて百余国となすというか、混とんとした状態です。いろんな厳しい状況にあるということを先ほどから言っておりますが、皆さんも、異口同音に同じことを言っております。いろんな立場のお医者さんが同じことを言っていますが、その声が届かないというか、目的あるいは方向性をもって発せられていない、そんなご時世であると思っております。
 とにかく医者というのは、皆さんのお仕事と同じように、つらい部分もあるんですが、今、全国的に非常に追い詰められた立場にあるということがまず言えるのではないかと思っております。皆さんのおかげで、私が働いております大和成和病院も心臓の患者さんが年々増えてきて、カテーテル治療の患者さんも含めると、いわゆる世間でいうところの「勝ち組」の病院となったわけですが、そういう状況であるにもかかわらず、この7月からいろいろな締め付けというか、不都合というか、「何だこれは」というふうな状況が忍び寄りつつあるということで、ほんとに日本全国のお医者さん、病院、公立も私立も例外なく、非常に厳しい状況に置かれていると思います。

テレビを通じて現場の医者からの意見をしっかりとお届けする意義

 だから何だというわけではないんですが、私はテレビを通じて、とにかく現場のお医者さん、現場で目の前の患者さんをしっかり治療する、それに100%の力を注いでいる中でこんなふうに思う、こんなふうに感じたということを発言させてもらったりしています。今日もそういった意味では、その立場から現場の声ということでお話ししているわけで、だからどうだとか、厚生労働省の外郭団体を全部つぶせとか、決してそんなことは言っておりませんので、誤解のないようにくれぐれもよろしくお願いいたします。
 先ほども山本さん(事務局長)から患者さんの手紙を紹介していただきましたが、私は「TVタックル」という番組で国会議員の方々にお会いして、いろいろな話をしています。先週の月曜日も、今日お越しの草野仁さんの司会でテレビ東京の「主治医が見つかる診療所」に出演しました。そこでも議論させていただきました。自民党の平沢勝栄さん、民主党の長妻昭さん、社民党の福島瑞穂さんとか、そういった方々と医療行政について大変偉そうなことを言わせていただいているわけです。ただ、現場の医者からの意見というか、だからどうしろというふうな展望はないわけですが、そういった形で社会が耳を傾けてくれるのは非常にいい傾向だと思いますし、ああいう番組にいろいろなお医者さんが出るということは、それはそれなりの功績が少しはあるのかなと自分で勝手に思い、自画自賛している次第です。
 何度も申し上げますが、自分自身は医療の現場の人間であるわけですが、私自身もテレビの電波やメディアを通じて少しはその実態が社会に届くという期待感を持って発言し、そうした行動をとらせていただいております。そしてそれなりの効果も出ているかなと自画自賛している中で、先ほど山本さんが患者さんの手紙の一部を読み上げていただきましたが、ああいうふうに評価していただいたというのは本当にうれしい。要するに南淵はしっかりテレビに出て発言している、なかなか大したものじゃないかというお誉めの言葉ですね。ほんとに非常にうれしく思っています。一番うれしくないのが、「南淵はおまえ、テレビにばかり出てて手術しているのか」といわれることです(笑)。それを言われたくないから、一生懸命今までしゃべっているわけですが、皆さん思っていても、決して私の前では言わないでください(笑)。これでも手術は自分ではそれなりに一生懸命やらせていただいているつもりです。

考心会は自分を振り返る、顧みるいい機会だと思っています

 こうやって年に2回、考心会が開かれ、10年前に手術した方や、つい半年前に手術した方など、笑顔で挨拶していただけると、明日からまた新たなエネルギーが沸いて手術の現場に立つことができます。これが10年間続いております。ほんとにそういう意味では、考心会は自分を反省するというか、自分を省みる、いいい機会になっていると思います。こういった患者さんの笑顔というか、患者さんに会ったということで、「明日からの手術はまた手が抜けないな」という、いい意味で自分が追い詰められるという立場になっています。
 皆さん、今後ともずっとこの会に参加していただき、先ほどから頓宮会長、山本さんもおっしゃってますように、呼ぶほうとしては毎回いろいろな趣向を凝らして、何が受けるか、人の入りはどうかということまで心配したりして、主催者側もそれなりに気を使って緊張してやっておりますので、いろんなご意見をいただきたいと思います。
 さきほども言いましたが、1年に2回、こういった会があるわけです。前回は5月にありました、その前はまた今と同じ秋でした。半年ごとに、自分がやってきたことを振り返る、ほんとに季節柄の出来事ということで考えさせていただいているわけです。ここ最近、大変重症な患者さんをいろいろなところからご紹介いただきました。いつも同じように思っているのかもしれませんが、今回の考心会、よくこの日が迎えられたなと思うぐらい、前回の5月から今日までの半年近い間に、非常にピンチな手術の症例が何回もありました。しかし幸いなことに皆さんご自身の力だと思いますが、元気を回復されて退院されていくという結果になっております。これもほんとに皆さんの力でもあると思います。

神秘的で不思議な体験をしました

 手術をしていていつも思うのは、患者さんご自身の力というか、ご本人の持って生まれた運命というのでしょうか、あるいは天の力というものを感じます。バイパス手術の患者さんもそうですが、心臓の弁を換える手術の場合はどうしても人工心肺を使わないといけない。あるとき、人工心肺を使って心臓の弁を換えて、何の問題もなく手術を終えた患者さんの心臓が急に動かなくなりました。それは大動脈弁の手術だったんですが、いったい何が起こったかまったくわからない。すぐに手術室に戻って、何気なしに冠動脈にバイパス手術をすると、ほんとに何事もなかったかのように元気に心臓が動き出して、順調に快復され、あっさりと退院された患者さんがいらっしゃいます。
 そういう経過を見ると、一体これは何だったんだろう、自分としてもバイパス手術したのが果たしてよかったのかどうかと思うわけです。明らかによかったんですが、冠動脈に足の静脈をつなげたわけですね。もともとその手術をする予定ではなく、大動脈弁の手術をしたわけです。ほんとに自分とは違う何かの別の力に助けられたという思いがしています。もちろん、何もしないと心臓は動かないままだったと思いますが、手術室に戻ってきて、そこで何かに動かされたように冠動脈にバイパスをつけてしまう。それでその患者さんは、何事もなかったかのようにリカバーしてしまうという不思議な体験というと変ですが、まさにどぶ板というか、一寸先は闇というか、一歩踏み外せば谷底みたいな状況の手術を体験いたしました。そういう大きなアップダウンというか、これはいったい何だろうなと自分でも不思議に思っています。ほんとに何かの力じゃないかなと。
 もう一つ、紹介しますが、透析を長年やっておられた患者さんのことです。患者さんはまだお若い50代の方で、透析をもう30年近くやっていらっしゃる。透析が長いせいで心臓の中に石のような塊ができていました。心臓の弁がかちかちになっているわけですね。その患者さんの心臓を止めて、中のかちかちになった部分をきれいに取り去って人工弁を埋める手術です。
 その患者さんの心臓の中を開けますと、今まで見たこともないような、カニの甲羅みたいになっていました。外にもカニの甲羅みたいなものがくっついていまして、透析やっているからってここまで硬くなるだろうかと疑問に思ったりして……。ほんとに今まで見たことないような状況になっていて、一生懸命、カニの甲羅みたいなものをはがして人工の弁を入れようとするんですが、なかなかそれだけのスペースが確保できない。ついには筋肉まで削りました。
 恐らくこういった筋肉を削ると、後で心臓が動き出したときに、もう心臓にひびが入って心臓が割れてしまうんじゃないかと思うわけです。思うというよりも想像するという、それが常識なんですね。そういうことは絶対やっちゃいけないんですが、自分の気持ちとしてはここまでこういう状況になったのだから、もうしようがないだろうということでやってしまいました。いわば開き直ったというか、こういう状況なんだから、こんなふうに大工事してがちがちに掘っちゃって、ちょうど家だと鉄筋コンクリートなんだけれど柱が邪魔だからつぶしちゃえというような感じですね。鉄筋コンクリートの柱をつぶすと崩れてくるかも知れません。そういうことまでやってしまったわけです。
 心臓が動き出しますと、結構、元気に動き出しましたが、やっぱりちょうど床が抜けたみたいな感じで心臓の後ろから血液がびゅーと漏れてきました。これは起こるべくして起きた、当然だな、これはしようがない、自分でもよくやった。家族に説明にいこうと思って、その出血している部分を見ていました。まだ人工心肺は回っている状況です。自分自身で体中に血液を送っているという段階じゃないんです。
 人工心肺が回っている状態で、すでに心臓が弱く動いているにもかかわらず、破れてきた。弱く動いていますので、破れているところをちょうど出ている先だけ、モグラたたきみたいに軽くちょっと押さえます。これで心臓の出血は止まりました。心臓の出血が止まると今度は内出血してきました。心臓がぶわっとはれてきたんです。これはもう駄目だ、絶対駄目、明らかに駄目。そのときはあきらめというよりも、もうしようがない、自分としてもやるだけのことはやったんだ的な感覚で家族に説明いたしました。
 戻ってくるとまだ心臓は動いています。何だか余計、元気になったようでした。そこで人工心肺を止めてみようということで、心臓ははれたままでしたが人工心肺は止まりました。止まっても心臓はずっと動いているんです。いや、もう絶対駄目だ、そのうち止まると思っていると、不思議なことにその方は元気に回復されてしまいました。
 その心臓を見たとき、これはもう言葉は悪いですが人間の心臓とも思えない状態でした。しかも、私があれほど中をずたずたに切って、それでも平気で動いている。これまた人間の心臓とも思えない。そういった何かの力ですね。自分自身の経験や技術とかは全く関係ない。そんなところを切ったら破けるに決まっているという感じでずーと切って、何とかスペースが空いたからそこに心臓の弁を入れようという手術だったんです。
 全く人間の命というか、人間の運命というか、あるいは手術の成功、不成功、あるいは病気が治る、治らない、あるいは人間の命を永らえる、永らえない。これはもちろん患者さんの力、あるいは医者の手助け、判断、そういったものに左右されるのは当然ではあるんですが、本当のところはもっと違うところで決められているというふうに思いました。そういったことでこの6カ月間、非常に神秘的な体験をさせていただきましたというのが今の私の心境であり、近況報告ということになるかもしれません。

「病院とは何か?」という医学事典のような本を出します

 私自身、草野さんのテレビに出させていただいているせいでしょうか、いろんなところで講演に呼ばれます。この秋も神奈川歯科大や横浜市大の学園祭、東大にも呼ばれまして、東大あまり好きじゃないんですけれども講義をやったりしました。草野さんもたしか、あちらのほうを出られたような気がします(笑)。嫌いなのは医学部だけですからね、法学部はいいんですけど。そこで講演とかさせていただきました。皆さんは患者さんですから、人工心肺とか心臓の手術をよくご存じだし、私の話を私以上にセンシティブ(敏感に)にというか、打てば響くような形で受け止めているんじゃないかなと思いますが、こうしたことを一般の人たちにどのように話したらいいものかといろいろ考えあぐねているわけです。
 今まで私自身、いろんな本を出してまいりましたけれど、全部ネタは一緒です。いつも皆さんに申し上げておりますように、1冊買えば十分ということです(笑)。全部とは言いませんが1冊は買っていただきたい。すでに持っている本でもお友達にあげるとか、いろんな使い方があると思います(笑)。今日も病院から運んでまいりました。
 実は、私は昨日も1万5千字ぐらいの原稿を書きました。病院の患者さんの辞典みたいなものです。医学辞典みたいなものを今、書いております。「病院とは何か」ということを考えると、病院とは病気の人が合宿するところじゃないかと思います(笑)。病院で患者さんはみんな治療を受けるわけですが、みんな何で同じところに積み上げられるんだと思うわけですね。それは病院の都合でやっているわけです。ほんとに合宿所みたいです。昔の旧制高校にあった寄宿舎とか、あるいは欧米でいうとイギリスの伝統校の、あるいは兵舎みたいな感じですね。ばあっとベッドが並んでいる。何であんなところに行かなきゃいけないんだ。大体、起床とか消灯の時間も決まっているし、時間通り、いろんなものが配られてきたりして、まさに合宿であるわけです。
 そういうふうな形で、なかなか斬新というか、受けるものをいろいろ考えながら、用語をもう一度私なりに見直して、写真をくっつけて詩集に近いような形の大きい字で、200ページぐらいの本にしようかなと思っています。そのほうが売れるということで、字がたくさんあるとみんななかなか読みませんので、そんなふうに考えたりしております。
 いつごろ出るかわかりませんが、日本評論社というところで出す予定です。「看護師さん」という部分もなかなかいけてるなと思ったのは、看護師さんはいつも清潔です、医者が髪の毛はぼさぼさで白衣が汚れているのに、看護師さんはいつもしっかり髪の毛を止めて白衣はいつもきれい、看護師さんはいつも患者さんの味方とか、そういうふうな書き方で書いております。
 それはどうしてかというと、医者の人数より看護師のほうが5倍ぐらいいるからです。100万人以上いる。看護師さんに買ってもらったほうが絶対もうかるわけです。そういう意味で常に看護師さんにごまをすっているわけです(笑)。そういった形でちょっとベストセラーを狙っているんです。

医療もメディアも、角界も大学もみんな崖っぷち

 この会場には本を書かれた方もいらっしゃいます。後藤均さんという推理小説作家もいらっしゃいます。また今日は千住文子さんといって、千住真理子さん、千住博さん、千住明さんのお母さんですが、会員になっていただきました。たくさん本も書かれています。また『新潮45』の石岡荘十さんという文筆家もいらっしゃいます。
 さきほども山本さんからご紹介があったように、手紙で累々と自分の体験記を書かれる方もおられます。そして皆さんでおつくりになられた『心臓病との闘い\地獄を見た72人の記録』という本もあります。自分で文章を書かれて投稿されるということはいろんな意味で頭のトレーニングにもいいわけです。
 自分の体験をつづるということは、自分で物事を考え、自分でいろいろな問題意識を持つことで、それは文章という一つのパフォーマンスです。文章をだれかが読むわけですから、わかってもらわないといけない。途中で「ぷっ」なんて笑ってもらわないといけない。これは大阪人だけが考えていることかもしれませんが、私なんか、いつもそれを考えているわけです。そういう演出、そういったいろいろな奥深い思考というものが要求される、なかなか知的な、ダイナミックな、魅力的なエンターテインメントだと思います。自分で文章を書く。またそれをどこかに発表する。これはほんとに健康につながる素晴らしいリハビリで、皆さんの人生を輝かしいものに変えていく素晴らしい活動だと思います。
 私自身は、全くそんな才能はなかったし、趣味というか、癖というかいろいろやっていますと、こんなふうに書こう、ここから入っていこうかなって思ったりして、まずは最初の一文です。司馬遼太郎の小説の最初はいつも素晴らしいですね。例えば『胡蝶の舞』というと、江戸時代末期のお医者さんの話ですが、「佐渡は波の上にあると思った」なんていうところから始まるわけです。佐渡のイノスケという人を中心に話を進めていくわけです。
 そういうわけで、人の文章も一生懸命読むようになったりします。ですから皆さん、文章を書くということはいろんな意味でのプラスの効果もありますし、またお金に結びつくという可能性もないとは言い切れない。石岡さんが書かれたのは、『新潮45』の10月号に私の朋友で、去年の10周年記念のときに講演していただきました米田正始先生です。
 本日の講演の冒頭で、医療が今、ピンチにあると言いましたが、ピンチにあるのは医療だけではありません。おとといはちょうど朝日新聞の方が取材に来られました。メディアもピンチです、がけっぷちです。ご存じでしょうか。『フライデー』が出版を止めました。しかし、あれはあれで間違った記事だと、自分たちで認めて出版を止めた。出版業界からすると英断だということをおっしゃってたり、出版自体、メディア自体の信頼がほんとにがけっぷちにあることを言いながら、しかしそのメディアは角界、相撲界もがけっぷちにあるなと言っているわけです。がけっぷちにあるもの同士で取材しているわけです。医療もがけっぷちにある。政治もがけっぷちにある。各種もろもろ、がけっぷちにある。話は戻りますが、大学もがけっぷちにある。大学病院もがけっぷちにある。大変な世の中でありまして、石岡荘十さんの『新潮45』の10月号を読めばいろんなことがわかります。
 ということで、大体、私の与えられました前座としての時間はこれで終わらせていただきたいと思います。ほんとに今日は皆さん、笑顔でご挨拶いただきましたことを、私はまた病院の職員、みんなのエネルギーというか、全身にみなぎる明日からの医療に対するエネルギーを数百倍にパワーアップしていただきました。ありがとうございます。(拍手)