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もう20年ほど前に読んだ旧約聖書の伝道の書の中に「天の下、全ての事には季節があり、全ての業には時がある」なる一節が、妙に頭の片隅に残っている。 坂道で胸が苦しい 今年の5月31日、大和成和病院で心臓バイパスの手術を受けることになった。早足で歩行したり、自転車で長距離を走っている時に胸部への圧迫感を感じ、担当医には時に触れて話し、虚血症だとのコメントは聞いていたが、それ以上の具体的なアクションを取らなかったのも、「まだその時来たらず」であったのか、それとも単に自分の惰性による問題先延ばしであったのかは、定かでない。 ゴッドハンド南淵医師との出会い 南淵先生とは4月10日に大和成和病院で面談し、胸部の痛みの症状を自己申告したところ、口頭による症状説明だけでは何とも判断がつかないので、成和クリニックで血液造影剤を入れて心臓のMRIを撮り、それにもとづいて状況判断したらよいだろうとのコメントを受けた。4月17日に同クリニックで40分位かけて上半身の全角度から心臓周りの動脈写真を撮影してもらった。4月27日、仕上がった写真をひと目見た担当医は、冠動脈内壁に中性脂肪の層が盛り上がって付着しており、ところによっては血管断面のほぼ80〜90%が閉塞している状態だった。早急に南淵先生に相談し、最終処置を決めるようにとのアドバイスを受けた。看護師の計らいで5月2日に南淵先生にアポイントをとっていただいた。 「風前の灯火」と診断され 5月2日、妻と次男を伴って南淵先生のもとを訪れ、診断の結果をうかがった。MRI写真を手にした先生は、「現状はクリティカルというよりも、正確には風前の灯火である」との見立てであった。こう言われてみると、もはやバイパス手術によるのか、カテーテルによってステントを血管内に挿入し、中から膨らませて狭窄部を拡張する方法になるのか、といったモヤモヤは一瞬にして消え去った。生きるためにはバイパス手術しか他に手がないとその場で決断せざるを得なかった。 南淵医師の活躍と人望 今回、インターネットで知ったのだが、南淵医師は大和成和病院の院長という経営管理者である前に、1個人として超一流の心臓執刀医で知られており、先生の診断と執刀を求める患者は日本全国から後を絶たないという。5月21日、タケシの「TVタックル」のゲストとして各党の論客と評論家に交じって今日の医療問題についての討論番組に出演されていた。 家族の支えと友人の励まし 今こそ、紙の恵みでわが人生にひとときの休息が与えられたのかもしれない。いまや南淵先生の卓越した技量を信頼し、わが生命を託すしかない。一方、わが家族、取り分け妻と次男にはいろいろ心づかいをしてもらった。日ごろはあまり意識に上ることはなかったが、今回のようなリスクをともなう事態に際し、家族の気遣いは有り難かった。 討ち入り後の赤穂浪士の心境 恐れの連鎖から安心の境地へ 私を含めて大部分の臆病な人間は、心臓手術と聞いた瞬間に恐れをなして病院へ足を向けるのを途端に止めてしまう。いったん、頭が恐れでいっぱいになると、次から次へとネガティブな方に頭が向かう。こうした恐怖の連鎖が不安を呼び起こし、必要な時にタイムリーな治療を受けずに症状を放置し、ある日、突然路上や車の中で激痛に襲われることになる。不安からの脱出は、まず事実を直視し、安心を見出して納得することにあるようだ。 そして手術 初期麻酔で頭が朦朧とした状態で、手術室に入り、本格麻酔を打たれると、8時間ほど経って覚醒するまではまったく何も記憶にない。しかし、この間にゴッドハンドによって汚染された冠動脈内のヘドロ状の汚れが可能な限り取り除かれ、真新しい自分の脚部から引き抜かれた静脈を用いた新しい血液流通のカイロが橋渡しされていた。後日、病院から提供を受けたビデオテープに映しだされたわが心臓のたくましく躍動する姿に畏敬の念を覚えた。周りでナイフ、ハサミ、クリッパーなどを使った手術が進行中も、片時も休むことなく脈々と血液を送り続けている人間ポンプ。これこそまさに神の創られた偉大な作品である。 退院の朝 南淵医師がわざわざ私の病室に足を運んでくださり、祝福をいただいた。先生自身も人体の神秘には常々驚嘆されているという。私はただ言葉少な目に、私の生命を救っていただいた南淵医師の大きなゴッドハンドと固く握手し、万感の感謝をその手に伝えた。(2007.12.9「考心」21号掲載) |
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