コンシューマリズムの目覚め 「考心」6号・2000年6月10日 |
南淵明宏 大和成和病院心臓外科部長 |
コンシューマリズムという言葉を皆さんは聞いたことがあるでしょうか。消費者至上主義という「お客さん本意」の考え方という意味です。 商売をやっている人などは、「そんなのはあたりまえじゃないか!」と腹が立つかも知れませんが、これまでの日本の社会ではコンシューマリズムはどうでもよく、官僚の天下りを受け入れたり、地方議員や国会議員を応援したりすることで、なんとか商売が成り立つ世の中であったようです。 こういった過去の権力や権威がすべてを支配するという現実は、多くの純粋な人の心を裏切ってきたことでしょう。一般大衆の「ためになる」、「これが大衆の願いだ」と考え、商品を開発しても、その人の努力にも問題があるのでしょうが、結局は「世間に裏切られた」と言う結果に終わることが多かったのかも知れません。 現実は別として、とにかく多くの人々が「権力や権威がすべてだ!」「大衆などは無知蒙昧だ!」、さらには「自分だけは大衆ではない」と信じ込んで、とにかくインチキの限りをつくすのが世の中、という世渡りが横行していたようです。ゼネコンの営業とはすなわち、政治家への賄賂であったり、何か困ったこと、税務調査や不祥事には国会議員秘書にもみ消しを依頼、という世間をなめきった大人たちへの反発が最近の少年犯罪にあらわれているのではないでしょうか。 話はそれますが、「少年法で加害者が守られるのはおかしい」という議論があります。しかし、それはまさに加害者である少年という「弱い者」いじめではないでしょうか。とんでもないインチキをして「お咎めなし」の大人たちは必ず国会議員や官僚であったりして例外なく強者です。こんな世の中のインチキ、大人たちのデタラメに17歳の少年達が敏感に反応し、天誅を加えているという考えは変でしょうか。 ところで、こういった「インチキ至上主義」の悪しき時代は終わりを告げつつあります。大衆が無知蒙昧、つまり衆愚ではなくなってきているのです。医療の世界でも大学病院とか医学博士とか大学教授とかいう「印籠」はむしろ世間の不信感を買うだけの代物です。逆にいえば権威や権力が生き残るためには「衆愚」、つまり大衆が馬鹿で無知、無能であることが必要です。また、「弱りきった弱者である必要がある」のです。神奈川県警の人たちは今それを一番願っているでしょう。 物を買ったお客さんは平気で文句をつけてきます。医療も「治療を買う」という商取引です。まがい物をつかまされたらすぐに文句をいわなければなりません。それにはしっかりとした商品知識が必要で、法律も知っていなければなりません。これは皆さんにとっての義務なのです。 地球が消滅するまで10億年かかるといわれていますが、それまで子孫を絶やすことなく、皆さんの体を作っているDNAの遺伝情報を残すためには、今、皆さんが政治オタク、悪徳医師、野合連合政党、カルト集団、あるいは官僚にだまされてはなりません。勉強しなければならないのです。 先に述べましたように、今そういった事情に気づいた人たちが増えつつあります。コンシューマリズムとは「客をなめたらあかんで!」ということなのです。なめられない客になるためには勉強です。情報や知識は簡単に手に入ります。場合によっては法律家の手助けも借りましょう。しかし、一番大事なのは、病気であろうが、経済的問題であろうが、「自分は弱り切った弱者ではない。強者だ」というプライドです。 |