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心臓には右側と左側の心臓自体を動かしている冠動脈があります。2年前、その左側の分岐点の冠動脈が詰まっているのが見つかりました。テニス、ゴルフ、スキーをやってもたいした不整脈もなく経過しましたが、病院の主治医がセカンドオピニオンということで紹介をいただいたのが、大和成和病院の南淵明宏先生でした。後で知ったのですが、「神の手」といわれテレビでも活躍している有名な先生でした。 9月13日 初診。CDを見ながらの話のやりとりです。 先生 カテーテル検査の時、如何に治療しようかと努力しているのが良く分かります。 私 私としては民間療法(足もみ)を実施しています。たいした不整脈も出ていませんので、手術は避けたいと思います。 先生 私も西洋医学が全てとは思っていませんが、これを治せるなら 私にも教えて下さい。あなたの冠動脈は叩けば、コンクリートのようにコンコンと固い音がするはずです。あなたね、内装屋に仕事を頼んで、そこはやらなくてもいいというわけにはいきません。私も恥をかきたくないので、しっかりと手術をします。 私 それでは、検査をお願いします。 10月10日 カテーテルの検査を行う。結果は、前回より少し悪化。心筋梗塞が起きればだめになることや、年齢などから手術をすることになった。入院までに先輩諸氏に相談をした。 11月21日 入院。手術日は27日に決定。黒の6分の1の踏み板を持ち込み、1日に3〜4回30分ほど、はさみちゃんや棒により、真面目に足もみを続けました。 ここからが驚きの手術経過です。手術の事前の説明では、左前下行枝(心臓の前面)と回旋枝(心臓の背面)の2か所に右内胸動脈と左内胸動脈をつなぐ手術とのことです。麻酔医の話では、当日9時に手術室に入っていただきますので、眠りに来て下さいとのことでした。 11月27日 9時に病室を出て手術室に行くまでは覚えていますが、目が覚めたのは夜の10時過ぎで、ICUのベッドの上でした。これから手術なのかと思うほど全く痛みはありませんでした。一晩は痛みに耐えなくてはと思っていたので拍子抜けでした。何か過去の手術が嘘のようです。 11月28日 朝までうとうとと眠れぬ夜を過ごす。隣のベッドでは暴れるなど大騒ぎの患者もいて気の毒に思いました。8時には朝食が出ておかゆ半分ほどとヨーグルトを食べました。看護師さんが、貴方は99・9%良い患者と話してくれました。 10時にはICUを出ると言われて、着替えなどを準備する。点滴を持ち歩いて一般病室に移動しました。約30メートルほどの距離ですが、想像してみてください。痛みで苦しいと思いでしょうが、全く痛みもなく普通に歩いてICUを出ました。この日はトイレに行く訓練もしました。 11月29日 この日は検査とリハビリの100メートル歩行訓練。ゆっくりと病人を休ませてくれないと思いました。点滴もとれて100メートル歩行訓練の後、歩くことが許され、約500メートル以上歩きました。 しかし、その夜、6時から翌朝の7時頃まで「踊る踊る心臓」不整脈が出て、からだがゆれて気持悪い状態が3日間続きました。点滴も戻り薬と治療が再度行われましたが痛みはありません。看護師の話によると「手術後30%〜40%の割合で発生している」とのことでした。 11月30日 朝、不整脈が始まり、検査のみの1日でしたが、夕方7時から翌日の8時頃まで、また不整脈が発生、眠れぬ夜を過ごしました。変な話ですが、幻覚が現れ壁一面に赤いマジックで書かれた家や川が現れビックリ仰天。白い花(3個)が消えては現れ、あっちの世界から呼ばれているのかと思い、これはどうなることかと心配しました。 12月1日 この日も朝まで不整脈が続き、先生の回診の時、「今日は食事を抜いて検査をする」と言われたので、「どんな検査ですか」と聞き返すと、「電気ショック」とのこと。ちょっと待ってください、心臓にショックを与えてどうなるのかと思いましたが、この脅かしにより10時頃には不整脈も治まり、やっと安心しました。 12月2日 この日は予定がなく、甲府から孫娘の「葉奈」が見舞いに来てくれました。 12月3日〜6日 シャワーの許可が出て、毎日「大和成和温泉」に入り、リハビリも日常生活ができるよう指導を受けました。月曜日からの回診、先生から「完璧だね」とか「良好」との話が聞け、周囲の患者さんから「もう退院だよ」と冷やかされていました。6日の回診の時、先生から退院の許可が出て、12月8日の退院が決まりました。 12月8日 手術から12日目の退院となり、話には聞いていましたが、あまりにも早くて驚きの退院となりました。我が家に戻り、早速手術中のビデオを見ましたが、さすがに気持が悪くなり、全部見るのには勇気が必要でした。この中で心臓の冠動脈にあばらの裏にある血管をつなぐのは、わずか10分くらいで、後は左胸いっぱいに開き、閉じることに時間を費やすことになります。特に印象的なのは、肋骨を人工的に切断、針金で固定するところで、大工さんか電気屋さんが、ペンチで引っ張りしっかりと固定するところでした。 いずれにしましても、3か月の静養が必要で、来年の3月まで好きなスキーも諦め、肋骨がつくまでゆっくりと静養をいたします。ありがとうございました。(平成19年6月3日・「考心」NO20掲載) |
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