南淵明宏(大和成和病院院長) 2007年5月4日総会(藤沢市民会館第1展示ホール)

実名を出して意見を言うことの大切さ

 皆さん、こんにちは。今日は天気が良過ぎて暑いぐらいで、また道も混んでまして、ほんとに遅れそうになったんですけど、抜け道で奇跡的に、すぐにそこの石上の駅の前を通って出てくる抜け道がありまして間に合った次第です。
 皆さんはほんとうに、ご熱心にこの会を支えていただいている、また活動にご期待されているということで、10年以上たっているわけですが、ほんとにすごいものができていくもんだなということで、私は第三者的に傍観者的な感慨を持っている次第です。
 今回は会場がまた藤沢になりました。私は神奈川県で手術を始めたのが湘南地域ですから、なつかしい藤沢に久しぶりに帰ってこれたなとという感じがしています。また今回は、大きなひな壇のある会場ではなく主催者も参加者も同じフロアということで、いっそう親密感、親近感を持っていただけると思います。
 私自身の話というのは大体会の付け足しで、考心会で集まりがあると、毎回、南淵にはしゃべらせてあげるということでついているわけで

す(笑)。この後に、メインの「グループ討論」というのがあります。皆さん、各グループに分かれていただいて、いろいろ意見を交換されるわけですが、病院の悪口を言われないように、各グループに看護師さんや医師を配置しております(笑)。そうやっていると皆さんもなかなか病院の悪口を言いにくいんじゃないかと思うんですね(笑)。そういうような趣向を凝らしている次第です。今日は看護師さんや職員がたくさん来ております。この後、休憩もありますけど、気軽にどんどん声をかけていただければと思います。病院のほうもしっかりと日当を払っておりますから、その分、ちゃんと機能していただかないと困るなというふうに、病院長の立場としては思ったりするわけです。
 今日は皆さんにこの本(『医者の涙、患者の涙』)をお持ちしました。以前は大きな緑色の単行本でしたが、それが新潮文庫に入るということで新潮社の方が来られました。『白い巨塔』も新潮社です。新潮社というのは、新潮文庫と『週刊新潮』でしかもうかってないとおっしゃっていますが、毎年「新潮文庫の100冊」というのがあるように、そこに私の本が入るということは大変光栄なことであります。
 この表紙の絵は私の後姿、ちょっと太ったメタボリックシンドローム気味な医者の後姿ということで非常に評判がいいんですけれども、これを皆さんにも読んでいただきたいと思ってお持ちいたしました。大分手を加えましたが、以前と同じような内容です。皆さんすでにお読みいただいたのであれば、どなたかにそれをお渡しして、読んでいただければ有り難いと思っております。
 もう一つ、また本の宣伝で恐縮なんですが、『明香ちゃんの心臓』という本があります。これは数年前にメディアを騒がせました東京女子医大の人工心肺の事故をあつかっています。これに対してみんながどういうふうに向き合っていったかということを、私の長年の知己であります鈴木敦秋さんという読売新聞の記者が書かれました。これは出たばっかりです。1700円と少し高いんですけれども、会場にも置いてあります。
 これは心臓医療とは何か、あるいは心臓の医療現場が現状としてどういうふうな状況にあったのか、一つの業界の内輪の社会が、ジャーナリストである鈴木敦秋さんの非常に鋭い筆で書かれています。非常にいい本だと思います。私も取材されて、実名は入っていませんけれども、この本ができるまでにいろいろと協力させていただきました。内容的には非常にいいルポルタージュじゃないかと考えております。
 ご存じのように、『国家の自縛』『国家の罠』の著者である佐藤優さんという方が、大宅壮一ノンフィクション賞とか、たくさんの賞を取られています。それに近い形で、この本が来年とか今年ノミネートされるんじゃないかと思ったりしております。
 それから、皆さんがお書きになったこの本(『心臓病との闘い』)ですね。皆さんは会員ということでもちろんご存じですが、何でこれを持ってきたかというと、この本が最近つくづくすごいなと感ずるところがあるわけです。私自身、メディアの方ともいろいろお話ししたりする中で、「個人情報保護法」というものが非常に行き過ぎじゃないかと思っています。そのせいで学校の名簿も作れない、考心会の名簿も作れない、普通の仕事のいろんなところに支障が起こっているということがあったりします。
 皆さんはご存じかも知れませんけれど、インターネット上に匿名の書き込みがありますね、非常に低俗な誹謗中傷があります。書き込む人の名前は個人情報保護法で守られて、書き込まれる側は、例えば「南淵のばかやろう」と書き込まれても、私自身は「ばかやろう」と罵倒されっぱなしです。書いた人は誰なのか、それを管理している会社に聞きますと、個人情報保護法がありますので言えませんとくる。ものすごい不公平ですね。これは端的に私だけのことをいっているわけではなくて、ほんとにふざけた話で、こんな不平等というか、理不尽がまかり通るなら、おてんとうさまは無駄光というふうに思います。
 ですから、この『心臓病の闘い』という本を見ますと、これは皆さん、実名で書かれているんですね。例えば神奈川県相模原市のだれそれということで、しっかりと自分の名前で書かれています。新聞の投書もそうですが、物事を世に問うというか、情報を発する、意見を言うときに、名前を出し顔を出して、正々堂々と自分の意見を言っていくということが、逆に非常に際立って見えます。
 ネット上の誹謗中傷などは、中学生レベルでいじめの材料にされているという話も側聞しておりますが、そういったものに対しては、みんなやっぱり声を上げにくいわけですね。ですからこの本がすべて実名で書かれてある、全然匿名じゃないというところは、別の観点で見ると、これはこれでまたすごい本だなと思うわけです。
 この会報「考心」におきましても、皆さんは、今日の感想とか、あるいは手術後の出来事などを寄せられています。匿名なんか駄目だと言っているわけじゃないですけど、匿名でも結構なんですが、ほとんどの人が実際、実名を出して、自分はこう思うということをおっしゃっておられます。
 皆さんは、「そんなのは当たり前でしょう」と思われるでしょうが、今のいわゆるネット社会というと、ネット社会はいい面もあるわけですから、ひとくくりにしてしまうのは大変申し訳ないのかもしれないですが、そういう風潮からすると、皆さんがおやりになっていることは素晴らしい、いさぎよい、自分の名前を出して物事をちゃんと言うということは美徳ととらえられるべきなんじゃないかなと思ったりしております。
 話は変わりますが、院長になってよく忙しいだろうと言われます。確かに私自身、医者以外というか、医者をやっているがゆえにメディアからお声がかかります。テレビ局には平日に行っているわけではなくて、必ず土・日に行っているわけであります。(笑)
 別に手術をさぼって行っているわけじゃないのですが、そういうテレビに出る機会がありまして、さっきの話の続きでいえば、私自身としては名前を出し、顔も出していろんな発言をさせていただいております。その発言を聞いて、気に食わないと思う人がいるのであれば、それに対して何か意見を言っていただければいい、名前を出して顔も出してというふうには私は思っているわけです。
 明日も夕方から「TVタックル」という番組がありますが、その収録があります。放映は5月21日の予定ですが、医療が今日抱えている問題点というのがテーマで、テレビ局(あれを作っているのはオフィス21です。久米宏さんをプロデュースしていたところです)から事前に説明というか、封書が来ます。
 三つ話題がありまして、一つ目の内容は、まず医者の医療格差についてです。格差社会ということがいわれていますが、医療格差ということを話題にしたいとあります。二つ目は医者と患者のコミュニケーションの行き違いです。ドクハラということで代表されることですね。三つ目は国民健康保険に入っているんだけれど、保険料を払えない人は医療を受けられないという問題です。要するに今まで払ってなかったから、払ってなかった分を全部一度に払ってもらわないとあなたは医療を受けられませんよという実質的な切り捨てというか、そういう形で病院にはもうかかれないという人が増えているという話です。
 テレビ局はやっぱりみんなの一番受ける話題というか、いろいろリサーチして決定した内容ですから、それはそれなりに今、一番ホットな話題なんでしょう。
 ちなみに明日、呼ばれるのは医者では私だけでして、あとは皆さん、大体は政治家です。前厚生労働大臣の坂口力さんも出ます。坂口さんは元小児科の先生ということですから、厳密にいえば医者は私と彼の2人です。そういうところでどういう討論になりますか。
 いつも皆さんには言っていますが、テレビで「これは決まった。いいこと言ったな」と思うと絶対に放送されないんですね(笑)。5月21日の放送ですが、あまり期待してもらったら困るんですけれども、唯一、多分この同じ背広を着て、ちょっと違う柄のネクタイでちゃんと映っているか、そこだけチェックしていただければいいと思うんです(笑)。
 どの辺がちゃんと放映されるのか、ほんとに放映されるまではまったく自信がないですね。カメラをずっと2時間回すんです。実際に討論しているのは1時間半ぐらいですが、放送するのは30分ですから、番組では3分の1に圧縮されてしまいます。
 やはり同じ月曜日の7時から「主治医が見つかる診療所」という番組があります。「TVタックル」は9時からですので、同じ月曜日に時間帯が重ならないで、違うテレビ局に出るんです。7時からの番組は、皆さんも「また出てるよ」ということでもう見飽きたかもしれません。
 去年の4月からちょうど1年、もう35回ぐらいになります。見られた方はご存じかも知れませんが、何人かの医者が座っていて、そこにその日のテーマをみんなで話し合います。全然専門じゃない人が出てくるわけです。前回も言ったかも知れませんが、そういった意味では同じ医者として毎回ものすごい勉強になるんですね、こんなお医者さんがいたのかと思うことが随分とたくさんあります。
 例えばこの間びっくりしたのは、誤嚥性肺炎ってご存じですか。こういうふうに水があって、これを飲みます。そうすると水が食道に入っていく。これは今、普通にしゃべっているときは空気が出入りしているんです。水を飲むときだけ、水に行く道がふさがる。要するに肺に行くところに、ふたがぺたっと閉まって、それで飲んだものが全部食道に流れていくという仕組みです。そうじゃないときはふたが開いてて空気が出入りしているんです。それを喉頭蓋といいますけれども、そのあたりが弱っていると誤嚥を引き起こす可能性が出てきます。
 例えば手術中に散々痛い目に遭わせられて、手術の後、ひいひい言っているような状況だと、水をごくんと飲んじゃうとうまくぺたっと閉まらなくて、それが肺に流れていって肺炎を引き起こす。これを誤嚥性肺炎というんです。この間、中国の方が入院しましたが、誤嚥性肺炎は中国語でも字が全く同じでした。
 そういう誤嚥性肺炎を20年も診ているという人がいました。その人にいわせると、ごくんと飲むときは、喉頭蓋、のど仏がぼんと真ん中に鎮座してますので、実際、水は左右に分かれていくわけです。正面から飲むと、ある種、のどの動きが活発になる、その動きは分かるんですが、逆にそれが非常に負担をかけてしまうということですね。
 実際、これを右に向いて飲みますと、飲んでいるものが全部左側に行く。この喉頭蓋の後はみんな食道が左側に向かっているんです。右を向くことによって、右が正面を向いていると左右に分かれるわけです、このあたりで。こう向くと右側がふさがって左側だけ開くということで、横を向いて飲むと非常に飲みやすいということになります。
 心臓手術後の患者さんだけじゃなくて、ご高齢の方ですね。みんなこうして飲むとき、ごくんとするときは、右を向いて飲むと誤嚥性肺炎が起こらないといわれて、そんなことは本には全然書いてないですね。これはすごい。これなんか、トリビアといえばまさにトリビアかもしれません。
 これはすぐに入院されている患者さんに実演してもらいました。すると、「すごい、いいですね」とか言って、みんな実演していました。次に行くと左向いてたりしてね。(笑)「いや違う、右ですよ」とか言って、全然分かってない方もいらっしゃるんです。まあ、左でも右でもいいんですが、とにかく右を向いたほうがいいわけです。これは右きき、左きき、関係ないですね。食道はまず間違いなく左側にあるということです。
 そういうことを勉強したり、なかなか医者の世界でもほんとに知らないことがたくさんあるなと思って、犬も歩けば棒に当たるというのは悪い意味ですが、いつも言いますけれども、いろんなところに行って、いろんな人にお会いするというのも、ほんとに自分がいい格好できるとか、子どもがどうしても成績が悪いからどこかの大学へ入れてもらうとか、そういう意味合いもあるかもしれませんが、それ以外にもいろんな人の、それなりに長年やっていらっしゃる社会で、ある種の地位を築いていらっしゃる人というのは、なかなか見るべきものがあると思います。
 もう一つ、前にもお話ししたかも知れません。新幹線に乗りますとグリーン車のところに置いてある『WEDGE』という本です。JR東海がやっているんですが、そこのちょうどど真ん中に「地球学の世紀」といって、学生さんが集まっていろんな話をしています。例えば禅の話とか……。
 例えば1月でしたら、京都まで行きまして白隠という方がいらっしゃる、だるまの絵をたくさん描いていらっしゃいます。その研究をされている京都の大学の先生の話を聞いたりしてたんです。この2月、3月、4月、5月というのはずっと数学シリーズです。来週も行くんですが、広中平祐さんという方のお話を聞くんです。
 最初は『国家の品格』という本を書かれた藤原正彦先生だったんです。数学の話というのは大学受験のときにやったぐらいで、しかし自分ではできるんじゃないかなと思いこんでいました。ところが、それを一生やっている人というのはすごいというか、近寄りがたいというか、何か訳が分からないというか。そんなことはないですけれども(笑)。素晴らしいなというふうに思ったりしてます。
 『国家の品格』という本にも書かれたかもしれませんが、数学をやっている人というのはとにかく美しさを求める、美しいものをめでる、美しいものを見て美しいなと思う。例えば外の木が風で葉っぱがそよぐと、美しいな、きれいだなと思う。美しさをめでる心を持つこと、これが第1です。
 2番目は、何かにひれ伏すことです。畏れおののく。畏れおののくの「畏れる」は、恐怖の「恐れ」ではなくて、「畏れる」です。水戸黄門の畏れ多くも、の「畏れ」です。それから3番目は自分の仕事が社会にどれぐらい貢献しているか、していないかということです。ちなみに数学は全く貢献していませんということで、数学者というのは世の中に全く貢献していないのが自分だとおっしゃっていました。
 それはそれですごいんですけれども、とにかく美しさをめでる心、それから何かにひれ伏すという心ですね。何かにひれ伏すというのは、もちろん神であったり、あるいは天の仕組みであったり。例えば中国でいうところの道教の「道」、「タオ」ともいいます。そういったものでもいいですし、キリスト様でもいい、仏様でも、お釈迦様でも何でもいいわけです。僕の場合は猫ですけれども。(笑)
 そういうもので、とにかく畏れおののく自分の運命。人間には何も変えられない運命がある、あるいはスーパーパワーというか、人間には理解できないものがある。そういうものに「畏れおののく心」というのがすごく大事だと言われて、それは皆さん、本当に感銘を受けていました。
 藤原先生というのはオックスフォード大学で、ずっと英語で数学を教えていた方で、数学での業績も、もちろん立派なものがあるのでしょうが、教育ということ、自分は教育者であるという認識が非常に強い方であられるように思いますけれど、そういった話が聞けるというのはほんとに素晴らしいことでした。
 またそのメンバーの中にも、内閣がやっている教育再生委員の方がいらっしゃったり、あるいは4月から国家公安委員になられた方もいます。6人しかいない国家公安委員のうちの1人。ずっと生物の進化をやっておられるわけです。鳥の鳴き声が求愛のときに変わっていくのはなぜかとか、それがどういうふうな形で鳥の答えとして学習していくかとか。
 それと国家の治安とどう関係があるのか全然分からないのですが、お役所の中でそういう自然科学、国際的に認められている方が1人必ず入っていました。長谷川眞理子さんという女性なんです。その方もほんとにびっくりしまして外出するとみんなSPがついていたり、自分で勝手に予約して飛行機の国内線に乗っても、飛行機のほうがそれを知っていたみたいな感じで、「その辺が大変窮屈だわ」なんておっしゃってました。
 そういういろんな方とお近づきになれるというよりも、こういった世の中、自分自身はどうしてこうなっちゃったかというよりも、随分いろいろ面白い思いをさせていただいている。これもひとえに自分がこの大和成和病院で心臓手術をやらせていただいているということがその礎になっています。
 それでなければ、ただの口の軽い面白いやつということにしか映らないし、こうはならなかったと思うんです。ですから自分自身としては、ほんとに今後も自分にとっての心臓の手術というのは何なのかというのを一生懸命考えていかなければいけないと思います。

今生きている瞬間をどう生きてどう考えるか

 最後にもう一つ、エピソードをお話しさせていただきます。心臓の手術は奥が深いですね。当たり前といえば当たり前ですけれども、私は今年で49歳になります。日本で心臓の手術を執刀医としてやらせていただいたのが33歳の時ですから、16年間、患者さんの命を一心にお受けするという立場になっているわけです。それでもいろいろ分からない状況があります。
 あるとき、つい最近ですが、90歳を超えた高齢の方が、手術がどうかということで来られて、本人はすごいやる気があるんですね。じゃあ、手術をやりましょうと決めて帰られた。するとご家族が後で来られたんです、もうやめてほしいと。でも本人はどうなんですかと言うと、本人は受けたいとは言ってはいるものの、本人が心臓の手術をどれぐらい理解しているか疑問だと言うんです。いや別にお年だからと言ってるわけじゃないですよ。お年じゃなくても、東大の数学科を出ている頭のいい人でも、心臓の手術を見たことはない、受けたことがない、どれぐらい理解しているか分からないですよね。
 ある意味では、私の説明ということで本人もいいところだけとって手術を受けたらバラ色だと思っている可能性も否定できないし、ご家族のいうことも分かります。手術は大動脈弁狭窄症です。この中でもその手術をお受けになられた方が何人かいらっしゃると思うんですけれども、症状は全然ないんです。ところがすごい雑音がある。超音波で測ると心臓の出口がすごく狭くなっている。心臓が一生懸命、ギュッ、ギュッと血液を押し出しているという状態です。でも本人は何の自覚もないんです。その方もそうでした。
 自覚がないんだから手術で体を痛めつけないほうがいいんじゃないか、と家族5人が来られました。息子さん、娘さんたちです。それで手術を受けさせたくない、でも本人は受けたい。だから私に説得してくれというわけです。いや、でも私は医者としては受けたほうがいいんじゃないかと思うんですが、しかし医者はサービス業だから、やっぱりお客さん本位がいい。でも待てよ。お医者さんというのはどっちだろう。お医者さんはやっぱり本人じゃないかなと、私もどう回答していいか分からなかったですね。
 面倒くさいというわけじゃないんですが、やっぱりそれはご本人に直接言うしかない。私は私の立場で正直に言ったし、ご家族もご家族の立場で正面からぶつかって本人に言ってみたらどうですかと。「お父さん、受けないほうがいいんじゃないか。家族としても受けないほうがいいと思う、家族の立場として。その後、何かあったら、いやあのとき手術しないほうがよかったじゃないかと思う気持ちのほうが強いから」ということで話すと、それで本人も説得に応じたということでした。
 その翌週に今度は反対の方がお見えになられた。まだ70歳でお若いんですが、肝臓が非常に悪い。肝硬変で大学病院では手術できないという人が、うちの病院にこられたんです。よくある話です。でも本当に肝臓が悪くて、肝硬変で手術をやると危なそうな状況で、大学の先生がおっしゃるのも理にかなっているというか、無理ないとも思うんです。
 ところが、今度は先週の家族とは逆で、何とか手術してくださいと頼まれる。手術を受けさせていただきたいと。それで亡くなるというと大変失礼な言い方ですが、「本望だ」なんておっしゃる。本人には心不全で苦しいからまだ確認してません。こちらは「ええっ」とびっくりしてしまうんですが。
 これは何を言いたいかというと、結論的に言えば分からないということですね。ご家族の心境、ご家族の結論、いろいろ考えた末、本人のことを思って手術を受けさせたくないという人もいれば、いろいろ考えて絶対に手術してくれ、何が何でも手術をしてくれとそういうような考えとか、ほんとにものは考えようなんていう一言で説明される場合もあります。
 しかし本当にこの命とか、あるいは今、自分たちが生きている時間ですね、これはお年を召した方というのはもちろん残された時間が比較的に少ないといえば少ないんですが、そうじゃない人だって、例えば今、10歳の人だって、20歳の人だって、生きられる時間は制限されているわけです。決まっているわけですね。100年生きられないわけです。いや100歳は大丈夫ですよという方もおられるかも知れません。
 でも我々がこうやって話している状況のもとで、これから100年というと、例えば150歳になる。これは大変、毎週テレビに出るぐらいに有名になるわけです。そうしたことはまず難しいという状況から判断すると、今生きている瞬間というのをどう生きて、どう考えて、また家族がいて、親として、子どもとしてどういうふうに接するべきなのか、考えるべきなのか。いろんなご家族を見てますと、ほんとに私は医者として分からなくなりますね。
 結局、目の前の患者さんにもいろんな人がいて、うーんということになると、じゃあ、自分はどうしたらいいのかということがもっと分からなくなりまして。ほんとに生きていることというのは、本人もそうだし、ご夫婦というか、配偶者としてもそうだし、相手のことをどう思うか。それから子供として、親として、どういうふうに考えていくかというのは、ほんとに一生悩み続けるというのがこの世の中というか、人生なのかなと思う次第です。
 なかなか結論づけたりはできないんですが、こういう話で今日のお話を締めくくりたいと思います。どうもご清聴をありがとうございました。(拍手)。