南淵明宏(大和成和病院院長) 2008年10月13日講演会(大和市保健福祉センター)

「泥中の蓮華」を持つ心

  患者さんの底力を見ると勇気、力が湧いてくる

  皆さん、こんにちは。今日は天気がよすぎてちょっと暑いぐらいです。どれぐらい暑いのか寒いのか、朝起きてみると割とひんやりするので、体調を崩す方が多いんじゃないかと心配したりしています。
 前回こちらでアンチエイジングの話をさせていただきまして、非常にわかりやすいプレゼンテーションを順天堂大学の白澤卓二先生にやっていただきました。そのときにプロジェクターの色が悪い、安物じゃないかという意見が多々ありました。(笑)それはいかんということで、その後、最新鋭のものを買いました。今日はお披露目ということで、ここで話すよりも機械の調子を確かめるのが目的みたいな形ですが、このパソコンを使ってプレゼンテーションをやらせていただければと思っております。
 近況報告ということで、いつもと変わらないお話で申し訳ないですが、ほんとに皆さんの顔を見たら僕自身がすごく元気づけられます。僕はここで話すだけじゃなくて、いろんなところへ行って話をしております。

 患者さんというのは一般的にはいろいろ不安とか心配とか、あるいはもっとひどい絶望という状況でお医者さんに巡り合って神様みたいに見えるということで、一瞬の光明が差した形で病気を克服されるというストーリーがあるように思われていると思います。そういう面もありますけれども、僕は医者の立場からいつも言うことですが、医者のほうでもいろいろふさぎ込んでしまうことがあります。どうしたらもっとうまく手術ができていい結果を出せるかなと思ったりするわけです。そんなときに患者さんを見て、これはすごいなと思ったりします。患者さんのお人柄、人間の強さ、それからまた運命というか、あるいは命の力、そんなことをいろんなところで話をさせていただくんです。今日もちょっと早く来て皆さんが集まっていただくお姿を見ると、どんどん力がわいてくる次第です。
大和成和病院は特に5月、6月ぐらいから、患者数がぐんぐんと増えました。いろんな事情もあると思いますが、特に心臓リハビリですね。最近手術されて退院された方、あるいは去年手術をお受けになって当院のリハビリ外来に通っていらっしゃる方はご存じだと思いますが、心臓リハビリが大変充実した内容になり、人的にもチームが整いました。
 僕の後にお話しいただく徳田さんはリハビリの専門家です。医者ではなく理学療法士でほんとのプロです。うちの病院の中で非常に評判を上げています。病院の中だけじゃなくて外にも広まり、僕自身も医者仲間から「大和成和のリハビリはなかなか充実してますね」と評判を聞くに至り、知らない間にこんなに頑張っている人がいるのかと思った次第です。
 せっかくプロジェクターを準備しましたので、この機能を確認する意味で皆さんに見ていただきましょう。読売新聞主催2008年10月10日。これは3日前にやった講演と全く同じスライドです。題名を変えるのを忘れてしまったということです。(笑)でも内容は少し変わっています。「医療ルネサンス山形フォーラム」と書いてありますが、山形で心臓外科医に何ができるかということで講演させていただきました。

 ここ5年位の間に患者の「医療リテラシー」が向上した

 これは先ほど山本さんからご説明いただいた読売新聞の『病院の実力。2008秋』です。600円で写真がいろいろ入っています。僕の顔写真も入っています。大和成和の心臓手術に関して6ページあります。手前みそですが、医者ではなくてその周りの人工心肺の操作をされている方にも注目してくれということで、人工心肺の写真が大きく載ってたりして、病院の中を忠実に表していただいていると思っています。
 この『病院の実力・2008秋』は、読売新聞の「医療ルネサンス」に毎日出てる記事です。全国の病院にアンケート調査をして、7、8年やっているわけですが、そういった集計したデータがこういう形で毎年、本になっています。
 この『病院の実力・2008秋』版のデータは2006年の1年間です。冠動脈のバイパス手術、狭心症や心筋梗塞の手術の数は日本一に輝いたということで、大和成和病院としても記念すべき年でした。大和成和病院で冠動脈バイパス手術単独の患者さんが226件ということだったんです。
 業界の話ですが、数的にしのぎを削っているのが榊原記念病院、小倉記念病院でした。昨日、榊原記念病院の先生に会っていろいろお話ししたら去年はちょっと負けていますね。ですから去年は榊原記念病院が1位ということです。ほかがどんどん下がっています。日本全国の大学病院とか、僕が研修を受けた国立循環器病センターも含め、そういった病院を大分引き離したのが大和成和病院と榊原記念病院です。バイパス手術、それから心臓の弁の手術でも3位でメダルは間違いないんじゃないかなという気がします。(笑)
 こういった病院の実力。今はやりの言葉で言うとリテラシー(literacy)があります。これは病院の内容を社会一般の人たちがどういうふうに理解するかという理解力、そういった社会の底力。リテラシーという言葉はLで始まりますが、辞書で引くと「読み書き・そろばん」です。そういったものが社会、地域の文化というか、力としてどれぐらい備わっているかという言葉から派生しているんです。
 例えばメディア・リテラシーと言いますと、新聞や週刊誌に書いてあることを皆さんがどういうふうに理解するか。ほんとのことばかり書いてあるわけじゃないわけです。言いにくいことは全然書いてなかったりするわけです。でもその裏に潜む、そういった理解力をメディア・リテラシーと言います。医療リテラシーというのは、医療をそのまま言っていることを「ふんふん、なるほど」と受け取るんじゃなくて、受け取ったものを自分でこなして理解して、それで判断していく、そういう社会の底力ですね。
 そういったリテラシーはここ5年の間、圧倒的に皆さんの中に備わっていると思います。その理由は新聞であったり、テレビであったり、インターネットであったり、マスメディアの功績と言えるわけで、これはそれを象徴するような雑誌だと思います。これは読売新聞ですが、朝日も赤い本を毎年出しております。  

「かかりつけ医」はホテルでいう「コンシェルジュ」

 僕のような心臓の手術ばかりやってる専門医がどういう位置づけにあるかというと、今日も始まる前にご質問を受けましたが、皆さんはかかりつけのお医者さんを信頼していただきたいと思っています。かかりつけのお医者さんといっても近くにあるからというんではありません。かかりつけのお医者さんもたくさんいらっしゃるわけで、皆さんが大和成和病院を探された、見つけられたのと同じようにその中で自分に合う人、自分がいろいろと話ができる人を探す、これが大事なんです。
 かかりつけのお医者さんというのは、何ができる、何ができないかということよりも、皆さんの話をよく聞いてくれる人。要するに相談役なんです。どの先生に診断をつけてもらうか、治療してもらうかじゃなくて、その前の段階で、悩みをいろいろ聞いてくれる人がかかりつけ医です。これが重要なポイントだということを山形でもお話しさせていただきました。山形でのお話というのは、手術を経験されたことのない方、病気になったらどうしようという皆さんの集まりで、470人ぐらい来られました。
 皆さんのように手術が終わった後の方もやはり同じです。血圧が少し高い、あるいは薬を飲んだら下がり過ぎちゃった、あるいは何かふらふらするような気がする、あるいはコレステロールが高い、尿酸値が高いという方もいらっしゃいます。そういったことに関してはかかりつけのお医者さんといろいろ相談する。かかりつけのお医者さんが、値がこうだからこうだと、そうじゃないんです。1週間、2週間、薬を調節したり、あるいは皆さんの生活を見たりするお医者さんですね。もちろんみんながみんなそうじゃないと思います。その辺の開業医という言い方をすると言葉が悪いかもしれませんが、でもいい先生は必ずいらっしゃる。皆さんに合う先生も必ずいらっしゃると思います。
 この漫画に「内科医」と書いてあります。病気かもしれないということで、いきなり僕の目の前に現れた方はいないと思います。いろんな先生を経て、いろんな先生の気持ちが込められた形で皆さんが僕の目の前に現れていると思います。そういう意味で、手術が終わった後もこういう先生というのは非常に大事だと思います。
 もし心臓に問題があれば、このかかりつけの先生は当然、僕にご相談があるでしょうし、あるいはかかりつけの先生のご判断で何かがあるでしょう。そういう形で皆さんの今後ということも進められていくと思います。とにかくかかりつけの人というのは病気を見つける。手術の後でも、もちろん再発ということが絶対ないとは言い切れない。それからほかの病気、肝臓が悪くなるとか、急に皮膚病になるとか。そういうことが人間生きてるといつ何どきあるかもわからない。
 かかりつけのお医者さんはコンシェルジュです。ホテルに泊まると何でも相談に乗ってくれる人をコンシェルジュと言いますが、そういう人ですね。一方、僕みたいな専門医というのはごくごく一部の、極めて局面的な、しかし命がかかっている非常に重大な局面ではあるんです。そこを任された職人であるという位置づけにある。しかしその専門医の資格が、これはいつも社会に向かって僕は文句ばかり言ってるんですけれども、はずれもいるし、当たりもいるということもお話ししました。

 「ごまかし」や「まやかし」の目的に使われる平均値

 これは以前にお話ししました。身長や体重はこうやって皆さんを平均すれば、年齢もそうですがピークがあります。平均値というものが一番高い比率です。縦軸が人数、横軸が例えば真ん中の男性は大体168センチとか170センチぐらいのところ。すごく背が高い人も低い人もいるけれども、その人数はすごく少ないという感じになると思うんです。
 例えば皆さんの年収ですが、この中には年収8億という方もいらっしゃると思います。すごく高い人もいれば、あんまりない人もいるということで、現実は厳しいというようなことです。こういった分布というのはいわゆる正規分布じゃなくて、べき分布という言い方をします。例えば日本人の平均収入、日本人の平均貯蓄額という言い方をされますが、大半の人が平均値より下の状況にあるという現象があります。こういう現象って実は世の中にたくさんあるんですね。そんなところに一つのごまかし、まやかしの目的に平均値というものが使われていることがあったりします。
 何が言いたいかと言いますと、心臓外科も年間20例というのがあります。それでもすごく少ないんです。日本にいらっしゃる専門医全部で、年間平均20例しかやってない。でもこういう分布ですから、ほとんど90%の人が20例よりもっと少ない状況にあるというお話をさせていただきました。皆さんは手術が終わった後ですけど、手術前の患者さんはしっかり専門医を見ましょう。
 それから消費者庁の話です。いろんな専門資格があります。専門医もそうです。例えばコンタクトレンズの専門医。お医者さんはその名前がついていれば、コンタクトレンズには詳しいのかなと思うわけです。そういった先生が消費者のいわゆる患者さんから見て、どれぐらいほんとに実力があるのかどうか。それは厚生労働省のほうからしっかりコントロールするというんじゃなくて、出口のところで消費者の皆さんの目でしっかりと監督する省庁、あるいは政府機関がないと、結局みんな縦割りですから駄目なんじゃないかということです。
 例えば専門医がヘボか達人かと。裁判官もそうだと思うんです。この人は世間を知っているのかと。一級建築士もこれはかつらなのかどうか、あるいは教師が変態かどうか、総理大臣が途中でほっぽり出さないか、経営コンサルタントは自分で借金したことがあるのか、自分で借金したこともないくせに借金で困ってる社長を助けられない。力士も八百長があるじゃないか。これは国技なんですから八百長があったとしてもばらしちゃいけないということで、これは山形で受けたんですけれどね。(笑)

 なぜ病気になるのか? 仏教では森羅万象は因果による

 話は変わりますが、病気になるには因果があります。仏教では因果応報と言います。じゃあ何らかの原因があるのか。あるいはだれかにひどいことしたから、小さいときに犬をいじめたからこんなことになったのか。いろんな原因を皆さんは考えます。遺伝子もあります。ひょっとしたらDNA。親からもらった体もそのときに、こんな病気になると決まってたのかなといろんな考えがあると思います。
 ほんとに遺伝子だけで運命すべて語れるはずはないと、みんなやっぱり直観的に思います。森羅万象は因果によると仏教では言ってますけど、ほんまかいなと。偶然に起こる出来事というふうに皆さん思います。例えば今日は天気が悪いと思ったらすごく天気がよかったので、これは予想が外れた。でも予想が外れたのは、ただいろんな細かいデータを分析していなかった無知によるものなんでしょうか、本当なんでしょうか。じゃあ、昨日の間に入れられる、めちゃめちゃに細かいいろんな、南米チリの気象からすべて掌握していれば今日の天気を予測できたのかどうかというふうなこと。これが、いま21世紀に入りまして科学者の中でもみんな真剣に考えていることです。
 それをもうちょっと難しい話で、僕もいろんなことを考えているぞということでお話ししたいんです。何で我々はここに生きているか。昔、ギリシャの哲学は死ぬか生きるかということが命題でした。仏教もそうです、中国もみんなそうです。死生観ということで漠然と観念的にとらえていました。ところがもっといろいろ数値を測ってみようとか、平均してみようとか、いろんな手法が生み出されて、それは一見、科学ということで論理的な事実に基づいた客観的なことになったわけです。そういうふうなことで、いま現在ずっと医学は進んできました。20世紀は進んできました。
 ところが、例えばメタボになる、太ると冠動脈の病気になって心筋梗塞になる、とは言うものの、僕が手術する心筋梗塞の患者さん、バイパス手術をしなければならないという患者さんは太った人はむしろ少ないんです。少なくともやせている。逆に手術する外科医のほうが太ってるということです。(笑)これは紛れもない事実です。この太ってるか太ってないかだけを見るとこんなことになってしまう。それからあとコレステロールの値です。実は一番下はHDLコレステロールです。下から2番目がLDL、悪玉です。それから中性脂肪です。急性心筋梗塞で急激に心臓が悪くなったという方だけはこの中性脂肪が175と、基準値150よりも2割程度高いだけです。
 皆さんはコレステロールが高いと心筋梗塞になりやすいと信じているわけですが、もちろん薬で少し下がっているという方もいます。この中で僕の外来にかかった方がいらっしゃると思いますが、僕はコレステロールを下げる薬なんか全然気にしてないんです。別にわざと忘れてるわけじゃないです。処方せんを書いて、皆さんが薬局に処方せんを出しても、もらえなかったりする。あれは別に僕が出してないわけじゃなくて、ただ忘れてるだけなんですね。(笑)どうでもいい薬だというように自分では思っているわけです。ものすごい偏見です。
 このコレステロールを下げる薬はほんとに意味があるのかということは、日本のお医者さんならみんな疑問に思っています。皆さんは聞いたことがあると思いますが、日本人はコレステロール値はあまり関係しないんじゃないかということは、現場にいる人はみんな思ってることなんです。

 人体は複雑系、1つの原因をなかなかつきとめられない

 ということで、21世紀の科学の世界でもこういった複雑系というふうに。世の中の森羅万象、人間の体もそうですし、例えば天気もそうです。そういった複雑なものが複雑系。これは当たり前の話なんですけれども、ぐじゃぐじゃになっています。でも実はその陰には何か法則があるんじゃないか。これが20世紀ずっと考えていたわけです。人体がいろんな挙動を示す。でもその裏には何か一つの法則、一つの公式があるんじゃないか。ある物質があってそれがコントロールしてるんじゃないか。例えば脳のコンピューターが、ある種の方程式みたいなものに従って体をコントロールしてるんじゃないかと信じてる人もいます。でも、複雑なだけで秩序はない。ある一つの結果があってその原因を探っていくと、また結果に堂々巡りで戻ってきてしまう。
 例えば血圧が上がると脈拍が下がるんです。心臓が副交感神経を刺激されて脈拍が下がると言われています。でもその原因をずっとたどっていくと、もともとは血圧を下げてしまうという、ほんとにずっと堂々巡りの話が出てきて、そうなるとほんとにどっちが結果でどっちが原因なのかわからない。因果律なんて全然わからない。人体は複雑系なのです。還元不能性とは一つの原因、一つの理由をなかなか突き止められないということです。
 僕はさっき九州から飛行機で来ました。機内でトマトジュースを置いていたら、フライトアテンダントがそれをひっくり返して、洋服にかかったんです。それはひっくり返したときの不注意でコップがこぼれたと考えられるかもしれません。実はその前の段階で、最初に挨拶されていろんな話をしていろんな情報があっていろんな流れがあって、周囲のお客さんのこともあって彼女自身のいろんな仕事もあった。そんないろんなことが全部重なって原因になってきてると思うんです。
 だからそうなってくると、ほんとに何がどう影響したのか全然わからないということです。そういうふうに一つの要素、あるいは三つ、四つ、五つ、あるいは千でもいいんですけど、細かい要素に分解していろんな連携がある。これが要素還元論ですね。
 それから時間も大事になってきます。血圧の薬を飲む、下がる。これは当然かもしれません。でも、いま飲む、夜飲む、あしたの朝飲む。同じ朝飲むにしても、今日のものと、あしたのものはもちろん環境も違いますし、自分自身も変わる。薬自体は包装のパックの中に入ってて変わらないかもしれませんが、ひょっとしたら薬自体も違っているかもしれない。自分の人間自体も違っているかもしれない。周りの環境、外的な要素も全部違う。ということは、同じことが起こるという理由はないわけです。
 そんなことを考えてくると、もう何も予測できないし、何の法則も成り立たないということです。これは仏教で言う「説示一物即不中」ということです。目の前にある、例えばこれがマイクの台だと説明した瞬間に、このマイクの台は時間がたってるわけですから、また別のものにちょっとですけれども変わってしまっている。禅の言葉ですが、こういう時間的な変化も全く予測がつかないということです。

緒方洪庵の「内外合一・活物窮理」という考え方

 ちょっと難しい話ですが、ウィトゲンシュタインという20世紀初頭の数学者は哲学を論破したと言われている人で、ウィーンの方です。言語の限界、自分の考えていることは自分が使っている言語以上のことは、なし得ないということです。どんな哲学者も、その哲学者が使っている言葉の範疇からは絶対に逃れられないと。孫悟空がお釈迦様の手のひらから逃れられなかったように、手のひらというのが僕らが知っている言葉なんです。言葉に我々は完全に支配されていると。
 一つのすごくいい例があります。英語をご存じの方はお分かりかもわかりません。アメリカやイギリスの英語圏では、筋肉痛をソア(sore)、歯が痛いとエイク(ache)、けがして痛いのはペイン(pain)という言い方をします。英語では幼児でもその痛みを使い分けているんですが、我々日本人は「痛い」としか表現がありません。アジアもみんなそうです。中国語でトンで、インドネシアではサキトです。
 そういう一緒のものということで、言葉で脳が支配されて、ひょっとしたら脳以外にも指の感覚神経まで支配されてるんじゃないかという状況もあったりする。とにかくこういう言葉というのは人間のすべてを支配してしまう。だから英語圏ではその三つの痛みを子供でも使い分けているということがあります。
 「不立文字」これは『正法眼蔵』に書かれている道元の考えです。どんな仏教のお偉いさんが考えてもそれは天空の虚空にさまよう1本の髪の毛にすぎない。要するに天空の虚空(虚しい空)というのはこの世の中すべてであるわけです。そこに人間の頭でいろんなことを考えようと思ったとしても、そんなものは髪の毛1本がひらひら飛んでいるにすぎない。人間が何か理屈で考えようとしても世の中の現実というのは全く太刀打ちできないんだということですね。
 このように西洋と東洋はすごく対立すると我々は考えがちですが、いろいろ考えてみると実は西洋でもさっきのウィトゲンシュタインあるいはヴォルテールもそうですが、もっと古い時代から道教の「道」みたいなことを言っています。「内外合一・活物窮理」。これは緒方洪庵の言葉、あるいは華岡青洲もこの言葉を使いました。
 内外合一というのは内科と外科の区別はない。内科も外科も一緒に一つの病気を、とにかくいい物を取り入れて治さないといけない。それから活物窮理も西洋と東洋を意味したわけです。とにかく物をどんどん利用する。発想とか思想にとらわれない。とにかく現実を重視して効果があるんだったらそれでいいじゃないかという考え方です。これは非常に東洋的ではありますが、西洋もみんなそういうふうに考えています。

 決断と勇気の人たちの集まりが「考心会」

 とにかく皆さんは心臓の手術をお受けになられたということで決断と勇気の人。これが考心会です。僕はいろんな講演で必ずこのネタを使わせていただいております。アンケート調査は不安や悩みの相談相手というところで、皆さんは配偶者や家族に相談が多いですと言っておられます。それから健康維持のためには食事と運動に気をつけられています。運動に気をつける人が多いということで、次の徳田さんの話につなげようと思ってこのスライドを出しました。
 現在どのように運動しているか。これが散歩です。今日のテレビあるいは昨日の夜からやってましたが、体育の日ということで日本人の体力が大分向上している。いろんなスポーツジムがあったり、とにかく鍛えないかんということをみんな言われています。鍛えるグッズもいっぱい売っています。これは今までの話ですが、今後はこういう散歩がもっと何か別のプログラムにされて、違った形で、徳田先生の言いつけを守るとか、そういうところに丸をつける人がいっぱい増えるようになればと思っているわけです。
 「泥中の蓮華」という言葉があります。ハスの花が非常にきれいに咲く。これは一見汚い、まさにドロドロです。汚いところにないと、きれいに咲かない。汚いところにあったから、きれいに咲くんだということです。これは仏教で昔からあります。清少納言の『枕草子』にも出てきます。濁り、泥、それに染みてしまうことのない心を持てと。泥の中にあるんだけど泥みたいな心にはならない、きれいにハスの花が咲くわけです。そういう心を持ちなさいということを言っているわけです。
 僕は山形で講演してめちゃめちゃに受けました。さっきの一見つながらないようなことかもしれませんが、複雑系という話をしました。その中でこの時系列です。時は必ず変化するということです。山形に来られた方は病気になって治療をどうしたらいいかと悩んでいる人が多かったようです。そういった人に、いい時があって悪い時がある、悪い時があると必ずいい時がある、悪い時というのはいい時のステップ、悪い時がないといい時は絶対ないんだよと。この「泥中の蓮華」ですね。そういう話をしたら、講演が終わった後、ご年配の女性たちから「南淵先生、かっこいい」なんて声がかかりました。(笑)。ご清聴をありがとうございました。(拍手)