2002年11月3日総会にて(藤沢市民会館)

医療の技量で医者を選ぶ時代

    南淵明宏

    大和成和病院心臓病センター長

  皆さんこんにちわ。今日は松井先生、富家先生においでいただいておりますが、まず今回も慣例にならって私自身の報告をいたします。
 9月には月刊『文芸春秋』で和田秀樹先生と「医者のからくり」と題して対談させていただきました。昨日の深夜、スマップの番組に医療ジャーナリストの伊藤隼也さんが出演され、「医者の技量はみんな同じではない。心臓外科ではF1ドライバーと、サンデードライバーぐらいの差がある」という私のコメントをご紹介していただきました。
 現在、朝日新聞の土曜日の医療欄に「カルテの余白」という12回の連載を書かせていただいております。
 また今日は、簡易心電計(8面紹介記事参照)を開発された社長さんをお呼びしております。この心電図は自分で計れるので、なかなかいい物です。いろいろなものが小さくなる、便利になる、安くなる、その流れについて説明したいと思います。
 心電図は患者さんが病院に行ってしてもらう検査ですね。そしてその結果はみんな病院にあります。病院が全部1人占めをしている。ですからこういうものが発売されようとすると、医者の側から反対意見が起きます。患者が家で計れるようになると、病院に来なくなるんではないかという危惧感があるんですね。私はこれはむしろ逆だと思っています。
 でも実際にはそれが出来ない。これがいい話だと思わない背景には、医療の不均一化があります。ちゃんとやっているところとそうでないところがあり、ちゃんとやっていないところが困るわけです。心電図を読めない医者もいますからこれはもう誤魔化せない、患者が文句言ってくると困る。つまり病院の医者の能力差が分かってくるわけですね。だから患者さんが自分で管理して自分で計るという行為が普及してこなかったんじゃないかと思います
 何度も言うように患者さんが医療内容で、医療の技量で医者を選ぶ時代に突入してきました。患者さんは何も知らないから、適当なことを言えばいいと言われてきた時代はもう遠い昔の話です。正に医師が能力によって淘汰されてしまう。その能力を患者さん自身が歴然と如実に判定出来てしまうことにつながる。要するに医者に対するリトマス試験紙みたいな役割ですね。この心電計はそういう契機になるような画期的な装置じゃないかと思っています。
 心臓ライブデモンストレーション手術のことをお話します。私自身5回目になりますが、今回は8人の医師が神戸と豊橋の2つの病院で8件の手術を行い、これを学会の会場に実況中継しました。会場には日本の心臓外科の医師600人が参加して、今回はさまざまな議論をしながら非常に面白い情報の交換が出来たと思います。
 よく「手術室は密室だ」と言われますが、それは手術室が密室なのではなくて、密室にしているわけですね。手術室はイギリスではシアター(劇場)と言って、多くの医師が自由に見れるという状況の中で行われてきました。全く密室ではない。密室は日本だけです。
 今回も手術された先生、参加された先生方が活発な議論をしながら手術を進めていきました。まさにオープンの極地です。そしてやる側でもいろいろと質問を受ける。やってる方も勉強になりますが、それを会場でみたり質問する方も勉強になるわけです。目の前でやって見せることで、皆さんが自分の力量をどの程度に判断できるかということにもつながります。
 こういったライブ手術がない状況ではそうしたことは全く分かりませんでした。医者同士の中で、乗り越えることができない壁があって、隣の病院で何をやっているのかということも全く分からなかった。そして、自分は朝から晩まで患者さんを見て一生懸命働いている、自分のやってる医療は超一流で間違いがない、そういうふうに思いこんでいたわけですね。ですから私がいろいろと手術の力量云々を過激に言って、その言われた先生方と学会で会いますと、「南淵君その通りだね、君の言ってる通りだよ。手術のあまり上手じゃない人はやめるべきだね」と言うんです。
 「いや僕はあなたのことを言っているのにな」と思っているんですが、皆さん全然自覚がない。自分のことを言われているということに気がつかないんですね。ですから改革の道はなかなか険しいとつくづく思いますが、心臓ライブ手術はそれを少しでも変えさせることにつながったんじゃないかなと思っています。

(この講演内容は幹事会の責任で概要をまとめたものです)