なぜ生命は尊いのか 西森達雄(東京都) |
ヒトゲノム全塩基配列の解読完了とその医療技術への応用に見られる現代生命科学の発展は目覚ましいが、他面、生殖細胞操作技術が容易になるとともに、堕胎児の収集や代理母の胎盤の商業化など生命倫理上問題になる事件が多発している。クローン寸前の人間も生まれようとしている。 一方では児童虐待、無差別殺人など社会を震撼させるような事件が後を断たない。しかも少子高齢化がいわれているさなかである。日本の崩壊が近いのであろうか。 そこで私はこれらの非倫理性は人間の本質に含まれているのではないか。ヒューマニティの輪郭を広げてみると、そういうあやしい本質が見えてくるのではないかと考え、まずなによりも生命の尊厳とは何かを問い直してみた。そして最近の自分の体験を忠実になぞることによって、生命の意味を理解しようと思った。そうすることで人間の運命の先が分かるような気がしたからである。 奇跡の生還 筆者の年齢は2001年3月現在73歳。職業は産業映画監督、企業の会社案内の制作などが主である。1990年頃、心筋梗塞のため道路上で倒れ、救急車で病院に運ばれたが、2段階マスター試験もすぐクリアし、別段異常がないため数日で退院した。 これは。私の右冠状動脈が梗塞して、一瞬意識を失ったものであるが、梗塞箇所から下の末梢部分が左冠状動脈前下行枝の末梢部分と繋がっているので、辛うじて右心室壁の壊死を免れたのである。このことは私自身も知らず誰も教えてくれなかった。 その後、私は自分の身体のことは気にも留めず、編集・デザイン・コピーなどのクリエイティブな仕事を真夜中に当て、煙草を多量に吸うなど無理ばかりしていた。 1997年11月28日、私は再び心筋梗塞に襲われた。実はこの日の前日から約1カ月のことは私の記憶から欠落している。気がついた時は、某大学病院のベッドの上にいた。 「奇跡の生還」と言って私を励ましてくれた、親切な看護婦さんの話では、その日、狭心症の胸の痛みから、自分の足で外来初診の診察を受けに来て、直ちに救命センターの個室をあてがわれ、間もなく心臓も呼吸も止まって臨死状態に陥ったのだそうだ。そこが病院のベッドの上だったから、直ちに蘇生術が施された。これが「第1の奇跡」である。 冠状動脈左回旋枝には、螺旋状のステンレスを入れて仮の血流をつくった。これをPTCAといって成功。いまでも心臓の裏側の血管はステントのままだ。心筋梗塞の激しいストレスから胃内壁に出血が起こり、1週間後にこれが腐敗、胃潰瘍を起こしているのが分かり、胃の大部分を摘出された。 これらのことは意識喪失中に行なわれたので、痛みを感じていない。普通1か月も昏睡状態にあると、脳障害が起きるといわれるが、私の場合はそれもなく無事生還した。これが「第2の奇跡」である。 南淵先生との出会い 春先、一般病棟に移ってから、冠状動脈造影検査の結果、冠動脈左前下行枝にも80%の危険な狭窄があることが分かった。病院はバイパス手術のため、私を留め置いた。 その頃、たまたま自宅の借地権が更新の時期に当たっていたので、交渉のため主治医に無理を言って退院した。無事更新が完了して、これまであまりにも身体について軽視してきたので、猛烈に勉強を始めた。シャーウイン・ヌーランドに始まり、生理学や解剖学の教科書も読んだ、知識が深まるにつれて、手術を急がねばならないという切迫感も強まった。 冠状動脈バイパス手術は普通、心臓を止めて、人工心肺装置で機械的に身体中に酸素を含んだ血液を回流させて行なう。 ちょうどそのとき私は、『受ける?受けない?冠状動脈バイパス手術』という本に出会った。この本は現在、神奈川県大和市にある大和成和病院の南淵明宏心臓外科部長の著書で、石灰質の動脈硬化が出来ている人、ことに高齢者には、人工心肺装置が危険であること、ドブ管の水洗掃除と同じで、石灰質性のアテロームが飛ばされて脳内血管に引っ掛かると脳梗塞になる。よく注意して結論を出しなさいと言っていた。 南淵先生は心拍動下、つまり心臓を止めず人工心肺装置を使わないで行なう手術に卓越した方で、年間200人以上の患者を治療している。外国にも招かれて講習しているということだ。 この本を読んだ私は、他の病院で胸から腰までのCT写真を撮ってもらい、そのフィルムを大学病院の主治医に見せた。確かに身体中動脈硬化がひどい。それでも主治医は人工心肺装置でやると言い張ってきかない。やむなく医長に相談したところ、「ご希望のようにしますよ」というので、すぐに大和成和病院に連絡、大学病院の医長はちょうど夏休みに入るところだったので、すぐ造影フィルムと紹介状を渡してくれた。 こうして9月11日に大和成和病院で心拍動下、胸部正中切開の上、内胸動脈2本を左右冠状動脈末梢部分に吻合した。手術は見事に成功し、月末退院して現在は主として大学病院へ通院している。 偶然が織りなす人間の運命 この間の偶然の連続による生命の〈蘇生〉〈救済〉を顧みると、人がよく「たまたま」という偶然の裏に、わわれれを超えた大きな運命の糸が隠されているように思える。確かに私は無意識の中に自己決定の原則にこだわって行動したことになる。これは無意識の中にも生きることが欲動されているからだ。 生命は誕生以来、38億年。生きることによって進化した。たとえば魚類の一部が天敵を逃れて地上に上がり両生動物になった。ちょうどその頃(約4億年前)、地上は乾燥した砂漠から裸子植物や蘚苔類、羊歯類が栄える森林に変容していた。大気は紫外線を遮るオゾン層を形成するに充分な酸素濃度を蓄え、上陸した動物の生命を支えることになった。これも偶然であろうか。 気も遠くなるような時間の重層の中で進化が進み、脊椎動物やがては霊長類が生まれた。この間無数の偶然の連鎖があったであろう。生きる意思は偶然を集めるといえようか。だから、生命の尊厳は生物としての、人間としてのアイデンティテイなのである。 環境も生命を支える。私は勝手に1人で生きられた訳ではない。医学の進歩、福祉制度、文化などが背景にしっかり私を支えている。個人と社会が相互に影響しあっている世界だ。場合によって自己決定権を失う危険性もある。だがそこを切り抜けていくのが偶然の力学的作用だ。そこで生命の尊厳の意義が絶えず、更新されていく。 遺伝子のDNAが人間の運命を決定しているといわれる。ほんの微細な遺伝子の違いが個性を生む。私の体験では偶然の連鎖が遺伝子の個性に結合して、まだ死ぬ訳にはいかなかったのかも知れない。親子の遺伝形質で見ても、私の両親は長命であった(父91歳・母84歳で逝去)。運命も遺伝するのである。 このように1個の生命体として自己実現の行動を即座にとったことが、運命の恩寵に応え、あるいは運命そのものと1つになったといえる。以上が生命倫理から運命論を導き出したプロットである。(2001年7月8日「考心8号」に寄稿) |