南淵明宏先生(大崎病院・東京ハートセンター長) 

2012年5月6日(大和市保健福祉センター)

演題:「ブルネイ王国を訪問して〜国の歴史を超えたマルチナショナルな世界」

1カ月に36件の手術でエネルギーがかなり充満しています

 古沢さん、ご紹介をありがとうございました。また皆様もお元気な顔をこうやって見ることができまして本当にうれしく思います。
 心臓の手術を34歳のときから独りでやり出して、今は54歳ということでちょうど20年になりました。その間に手術されて何年前に手術したかよく覚えていない、そういう患者さんが本当にたくさんこの中にいらっしゃって、非常に元気な顔を見せていただき、僕自身も大変元気をいただいています。
 考心会は年に2回開かれますが、僕自身、非常にエネルギーが萎えて、ガクッとなっているときにこの考心会に出席して、それでパワーアップをしていました。今回はちょっと違っています。3月、4月ぐらいから手術件数が突然増えてきました。4月はこの20年間でも1カ月当たりで一番たくさんの手術をさせていただいたと思っています。54歳にして36件ということで、個人的に非常に患者さんに恵まれているというか、社会にそうした需要があるということは、(患者さんにとっては心臓の手術を受けるというのは嫌でしょうけれども…)僕にとってはそれだけ大勢の皆さんに用途を見つけていただいて本当にうれしいなと思っています。ですから今はかなりエネルギーが充満して相当に走っている状況で、今回の考心会にのぞませていただいています。
 いつも本当に、僕が割と落ち込んでいるときに考心会で皆さんにお目にかかって元気をいただくのですけど、今回はちょっと違うという感じです。

天皇陛下の手術は心臓手術やリハビリへの理解を深めました

 2月あたりから南淵の顔がテレビにいっぱい出ている。(笑)別のチャンネルにしてみようかなとひねったら、あ、まだ出ている。(笑)さっきのニュースが終わったのに次のニュースにまた出ている。何だこれ、フジテレビには3回連続出てるじゃないかと……。「めざましテレビ」「とくダネ!」「知りたがり!」と続いて、テレビ朝日をつけたら、また出ている。
 このように天皇陛下の手術で、心臓の手術に対して世の中の理解が非常に深まったと思います。特に顕著なのが「リハビリ」です。僕のチームに徳田雅直君というのがいて、今日も来ることになっていますが、理学療法士として病院でリハビリを行っていますが、本当に今、リハビリが売り物になっています。陛下の手術が終わって一段落している状況で、今度はリハビリだということで、リハビリがネタになりました。
 胸水。これも皆さんの中で経験のある方がたくさんいらっしゃると思います。胸水なんて、大変失礼な言い方ですがマイナーな話なんですね、胸水がこんなに社会の脚光を浴びるものなのか、そういうことが象徴的に物語るように、今回の出来事で社会もメディアも心臓の手術に対して非常に深く具体的に言及してくるわけです。それからさっき言いかけましたけれど、リハビリについて「心臓の手術をやった後にリハビリなんてあるんですか」というようなことをメディアの人が言うわけです。
 心臓の手術をしたら、みんなもう寝たきりだと思っている人たちが多く、そういう偏見が強いのです。「リハビリって、ベルトコンベアの上を走ったり、自転車をこいだりすることですね。そんなことできるんですか」と言われます。普通できますよね。当たり前です。でも世間一般の人で、そんなふうにネガティブに心臓の手術後はもうずっと寝たきりだというふうに思っている方も大勢いらっしゃる。そういった人たちにとってリハビリはすごいな、心臓の手術のリハビリってどうなんだということで、それでまた僕や徳田君がニュースに出たりしました。
 そういうことで、とにかく世間一般の理解が本当に広まったのではないかと思います。これは僕自身もそういう使命感みたいなものを持ってああいう形でいろいろご説明させていただいたわけで、それなりの効果はあったのかなとは思います。

先人の努力で日本の今の保険制度が維持されてきています

 話は変わります。たまたま時期を同じくして3月号の月刊『文藝春秋』に原稿を書かせていただきました。「今の保険制度はあまりにもすばらしい。日本の保険制度あるいは日本の社会を見渡すと、電車が全く遅れないとか、普通に水道の蛇口をひねると水が出てそれが飲めるとか、我々が常に当たり前だと思っているものが先人の絶え間ぬ努力や、現在も莫大なお金を使ってそれを維持されているということに、皆さん方があまりにも気づいてなさ過ぎるんじゃないか。そういうことから、日本の保険制度やさまざまな積み重ねをもっと大事にしましょう」という意見を書かせていただいたのです。ちょうど都知事の目にも留まって、お読みになられた日の会見でも引用していただいたみたいです。
 そういうこともあって、明日、都知事と対談する予定だったのですが1カ月延びてしまいました。明日、都知事はどうしても尖閣の話を番組でしたいということです。明日が延びて、1カ月後ぐらいに対談ということになるようですが、TOKYO MXテレビではある程度、時間のある話をさせていただけるのものと思っています。
 余計なことを言いますが、テレビに出演してニュースで「あんた、これ言ってください」というようなことを言われ、「はいはい」。あるいは「Mrサンデー」にコメンテーターで出て、いきなりパッと振られて10秒ぐらいで何か言わなきゃいけないというのではなく、「どうぞ、お好きなようにしゃべってください」という番組に出て意見を述べるのが一番なのですが、なかなかそうもいきません。本当に何か使われているだけという番組がほとんどです。MXテレビであまり視聴率はないかもしれませんが、都知事との対談に期待している次第です。近況は大体こういうところです。

ブルネイ王国から呼ばれて心臓手術をしてきました

 先ほど、古沢さんからお話がありましたように、4月は本当にたくさんの手術をさせていただきました。連休ということで暇なら手術に来いということで、実はボルネオ島のブルネイ王国からお呼びがかかりました。そこにシンガポールやマレーシアで病院を展開している大きな病院グループがあって、非常に高級ですばらしい病院を持っております。それは国が25%、その会社が75%出資ということです。
 ブルネイ王国は石油の国です。ご存じだと思いますが、国が大変お金持ちで税金がないということで知られています。ですから空港にも免税店というのがない。税金がなくて、あらゆるものに税金がかかっていない。たばこにもかかっていません。ただし、お酒は販売自体が駄目なのです。たばこはいいんですが、お酒はどこも売っていないということです。ですから非常に優等生な国です。
 そういうところへ行きますと、本当に「マルチナショナル」というか…。皆さんブルネイはご存じでしょうか。フィリピンの下に連なるセブ島があって、その下にある大きな島です。ボルネオ島、インドネシア語ではカリマンタン島と言います。インドネシアが下半分、上半分がマレーシアの領土です。マレーシアというのはマレー半島もあるのですが、ボルネオ島にも領土を持っているわけです。言葉はインドネシア語とマレー語ですが、両方大体同じです。
 90年前からずっとイギリスが統治していて一九八四年に独立しました。石油が出るのですが、シェル石油が90年前からそこに基地を構えています。そういうところへ行きますと、本当に「マルチナショナル」と言葉では言い表せないようなたくさんの方、いろいろな国の方々とお会いします。意外だったのがインドです。それからすぐ北はフィリピンですからフィリピンの方もいらっしゃる。もともとのマレーの方もいらっしゃるし、マレー半島のマレー人も移ってきて仕事をしています。
 シンガポールの人が商売で資本投下したり、南側のジャワ島のインドネシアの方も来ています。コケイジャン(Caucasian)という言い方をしますけど、ヨーロッパの方々、イギリスが中心です。それからメルボルンとも交流があって、メルボルンからもいろんな人が来られています。本当に何というか90年という歴史じゃないんですね。例えば中国は福建の方が多いのですけど、中国人同士が会って「いつおまえのファミリーはブルネイに来たんだ」と言ったら、「フォージェネレーション(4世代)だ」という話をするのです。「あんたは」と言うと、「2世代」とこんな感じです。
 ですから、そういった意味で、さっき石原さんの話が出ましたが、尖閣であるとか南沙諸島ですね。確かに国の線引き的には境界線というのがありますが、実際問題、歴史としては数百年の交流があって、アバウトというかファジーというか、あるいは実際にその現場というのは100年、200年、300年、400年のレベルで交流し合っているのです。
 本当に赤道直下ですから暑い太陽の下でカッと照っていまして、波も全然なくて、海も静かです。ところが、この中にも戦争で南方方面に行かれた方、インパール作戦やイ号作戦とかいろんなものに参加した方はご存じだと思います。
ああいうところは夕焼けがものすごくきれいなのです。
 まさに三橋美智也さんの歌にあります「(歌)真っ赤な太陽燃えている 果てない南の大空に…」(『怪傑ハリマオの歌』)なんていう歌を思い浮かべますと、いやあこれはおれも一人の日本人として何かここで夢をやり遂げたいなと、こういうふうに思った方は、過去何百年の間にたくさんいたんでしょうね。日本人に限らず、ルソン島から南に渡ってきたり、あるいは大陸から行ったり。それからボルネオの北というとブルネイですが、ブルネイというのはバンダル・スリ・ブガワンが首都です。すぐ隣がコタキナバルというところです。さらにその隣がサンダカンというところです。
 皆さんご存じの熊井啓の「サンダカン八番娼館」という映画があります。今村昌平の「女衒ZEGEN」という映画の舞台にもなりました。そういう日本人のさまざまな交流というものが戦争前の時代からいろいろあったということです。

ブルネイで中国文化を堪能しました〜メロドラマの主題歌です

 今回は中国文化というのを堪能いたしました。ということで一曲歌わせていただきます。これを歌うとめちゃくちゃ受けるんです。中国の女性をコロッとその気にさせるというと変ですけれども、うちの家内も中国人なんです。(45秒、中国語の歌を披露)(拍手)
 この歌はあまり知られていないんです。日本の方は海外の歌をあまり知らないけれど、すごくいい歌がたくさんあります。これは今の香港、シンガポール、大陸も、それからブルネイも中国語ができる女性の10人に10人は知っている歌です。本当にぐちゃぐちゃのメロドラマの主題歌になっています。これは5回や6回では済まないぐらい何度もドラマ化され、映画化されています。
 一番最初に映画になったときは、服部良一さん作曲の「蘇州夜曲」が主題歌になっています。その後は中国人がこの歌をつけましてだれでも知っているのです。ところが、内容的には男性が見ると「何じゃこの話は」という感じです。女性が見ると「ああ、ああ」と涙ぽろぽろとそういう内容です。(笑)そういうことでどうも皆さんのお耳が汚れたかと思いますけれど、今後ともまたよろしくお願いします。(拍手)