2011年11月3日 15周年記念講演

身体的健康、精神的健康、社会的健康、

そして魂の健康が重要

南淵明宏

大崎病院・東京ハートセンター長

東京の病院に移ってさらに学ぶ機会が増えました

 皆さんこんにちは。15周年ということですけれども、僕にとってみたら本当にあっという間の気がします。先ほどから挨拶させていただいていろんな患者さんの顔を見ますと、僕の脳細胞もだいぶ退化したせいか、見覚えのある方はたくさんいらっしゃるのですが、去年なのか、5年前なのか、14年前なのか、なかなか判別つきがたく、そんな状況でございます。いろんな人の顔が一人の人間の頭では覚え切れないぐらい、自分の中に詰めようと思っても詰まらないぐらいの状況になっているのだなと思っています。
 武藤先生、奥山先生もいらっしゃると思いますが、同じ気持ちでしょう。もちろん患者さん達もそれぞれにいろんな思いをお持ちでこの場に来られていると思うんです。僕自身、去年の12月に東京に行き、大雑把に言えば以前と大体同じような生活を毎日しているわけです。
 しかし、東京に移ったということで少し視点も変わりまして、改めて医療というものがどんなものか日々学ばせていただく機会が多いのです。特に最近、東京ということで、より遠くから患者さんの問い合わせ、あるいは実際に手術を受けに来ていただいております。全部が全部そうではないのでしょうけれども、世の中にある病院やお医者さん、あるいは患者さんとの関係の中で、いい意味でも悪い意味でもよくわかりませんが、僕とみんなは違うんだな、全然違うなと思っています。患者さんとお医者さん。特にお医者さんですね。いろんな説明のありよう、病気に対するお話です。
 特に「はっきり言ってもらわないと」という話を患者さんからよく聞きます。手術をするか、しないか、いつすべきか、もっと悪くなったら手術しましょうと言われたり、そのうちにお医者さんが代わってしまうことがあったりして、たまらなくなってご連絡いただいたという方が非常に多くいらっしゃる。そういういろんなこともあって私の周辺のスタッフは変わってないのですが、違った病院で働かせていただくという状況になりまして、さらにたくさんのことを学ぶ機会が増えたと考えております。

最近同じ心臓でも別系統の病気が見つかることが多い

 その中のもう一つ具体的な事例をお話ししますが、最初に田さんのお話にありましたように、今まで例えばバイパスの手術をした人はしっかりと冠動脈が流れているかな、弁の形成手術あるいは人工弁をやらせていただいた方には心臓が楽に動いているかな、弁が逆流していないかなというところばかりを見ているわけですね。ところがおなかの大動脈瘤が突然見つかったり、あるいは冠動脈の手術をしてそこのところは全く問題ないのですが、大動脈瘤のほうがどんどん大きくなって大動脈弁も逆流して、これは大変だ、手術だという方とか、同じ心臓ではあるのですが、別系統の病気が偶然見つかったという例が増えています。こういうと変な言い方ですけれども、これは全く僕自身の不徳の致すところです。
 もっと前からわかってたんじゃないかと反省しきりですけれども、突然そんな方がこの夏からばたばたといらっしゃいます。皆さんを決して脅かすわけじゃないんですが、今回の『心臓病との闘い2\再発にそなえて』ということですけれど、まさに当を得た、吉村さんたちの命名あるいはテーマの設定だったなと、7月、8月になってつくづく感心させられた次第です。
 皆さんの多くの方がそうなるとは思えないのですけれども、あるいは皆さんが心臓病の手術を受けたから、例えば冠動脈の手術を受けたからまた心臓の弁が悪くなるということでは決してないのです。恐らく一般の人たちはもっと容易に起こり、またそれが見逃されているんじゃないかと思います。そういう状況ですけれども、皆さんはたまたま病院にいらっしゃるということでそういったものが見つかりやすいのかなと思うのです。その際には1回目の手術と同様に臆することなく間髪を入れず治療をお受けになられるということ、言われなくても釈迦に説法でございまして、皆さんそういう態度をおとりになられるとは思うのです。
 とにかくこの7月、8月、9月と、実は今週の月曜日もそういう方の手術でした。そういう身につまされるというか、しっかり体を5年、10年診ておくことが大事です。しっかり診ておけば事前に悪くなる前に見つけることができて治療ができる。
 特に身につまされるのはおなかの大動脈瘤です。本当にこれは皆さんに、「縁起でもない。心配だな。そんなことを言いやがって。明日でもまたちょっと病院に行って診てもらおう」なんてなことになるのかもしれないですけど、そういう事例が現実の問題として僕自身に起こってしまったということを、しっかりとお伝えしなければならないと思いました。
 僕の外来にかかっている患者さんだけじゃなくて、皆さんいろんな病院にかかっていらっしゃると思うんですが、そういった医療機関やお医者さんをうまく手なずけて、うまく利用する、うまく検査させるということが必要じゃないかと思っております。最初にそういう近況の報告です。

心臓手術しか頭にない私はずっといつもと変わっていません

 今日は僕が書いた『異端のメス』というつまらない本が講談社文庫に収録されましたので、皆さんにお配りさせていただきました。そんなものはいつも僕が言っていることで同じようなネタなので何ら新しいことはないのですけど、知っている方にでもお渡し願えればいいかなと思います。
 東京に来たということで、いろんなメディアの方とのおつき合いも増えました。いろんなところにお呼び立ていただけるということも、東京ならではということはあるのかなとは思います。しかし、この昨今に至りましては、震災の復興をどうするんだ、だけじゃなくて、年金どうするんだ、あるいは環太平洋パートナーシップ協定(TPP)をどうするんだと、そんな話までいろいろご質問をいただく、お尋ねいただくようなことがあるものですから、無責任なことばかり言っているわけです。そんなことで皆さんのお目を汚するようなことがまた今後ともあるのかもしれないですけど、そのときはご容赦いただければと思います。
 しかし、東京に移っても去年の今ごろと今と、やっていることはほとんど変わりません。常に心臓の手術のことしか頭にない、それしかできませんもので、それを頭に仕事をしています。明日も僧帽弁の形成手術の方がいらっしゃいますが、弁の形成というと若い方が多いのですが、若干高齢なのでどうしようかな、形成術にこだわろうかな、いや生体弁で弁置換しようかとそんなことを朝からずっと思い悩みながらスーツに服を着替えて今日来たということです。そういう状況から判断すると、南淵はずっといつもと変わってないんだなと思っていただければ幸いです。
 また外来のほうも皆さんご案内と思います。南町田病院で2週間に1回、あとは少しここから遠いですけれど大崎の東京ハートセンターでもやっておりますので、顔を見たいとか、あるいは文句が言いたい人、いっぱい文句があるんだけど顔を見たら忘れちゃったという人が多いですが(笑)、ぜひ外来に来ていただければと思います。

今日は藤崎先生、佐々木先生の講演があります

 今日は相模原協同病院にいらっしゃいます藤崎先生のお話があります。非常に優秀でハンサムで格好いいスポーツマンでございます。彼は本当に才能があって非常にセンスのいい手術をやる人間です。相模原協同病院も循環器内科で井關先生という非常に優秀な先生がいらっしゃいます。救急対応何でもできるという状況ですので、またごひいきになんて言うと縁起でもないですけど(笑)、まことにもって縁起でもないお話ですけれども、何とぞお見知りおきいただければと思います。
 今日は15周年ということで、私の知己を得ております佐々木閑先生という、先ほど吉村さんからもご案内がありました。以前5月にここで総会がありましたときに、いろんな広がりのある医療からちょっと離れたというようなご意見もあったかと記憶しております。佐々木先生にお願いしているころに、ちょうどNHKの「100分de名著」というところにも4回か5回出て講演されている非常に高名な先生です。
 非常にわかりやすく仏教のお話、あるいは仏教というよりもっと根本の宗教とは何であるか、宗教をなぜ多くの人が必要とするのか、皆さんはそんなもの要らないよという人もいるでしょうし、いや大事だという人もいるでしょう。しかし多くの人が必要としているのは客観的な事実です。そういったところでもお話しいただけるのかと思います。
 その後はハープの演奏会ということです。今日は大変高名な方に演奏いただけるわけです。アルパという楽器だそうです。南米ということで、これは皆さんが疑問に思うんですけどだれも直接聞かないので僕が聞きました。「アルパ」と「アルパカ」はどういう関係があるのかと(笑)。
 多分これはみんな恥ずかしくて失礼で聞けないと思って、僕は使命感を持って聞きました。すると「わからない」とおっしゃっています(笑)。アルパというのはハープです。英語でharpです。フランス語やスペイン語は「h」を発音しません。それでアルパというんですね。アルパというのはもともとハープの意味ということでございます。アルパカもひょっとしたら関係しているのかもわかりません。それは次回、アルパカが来たときに直接聞いてください、ということです(笑)。
 しかし、これもお世辞を言うわけではないですけれども、音楽というのは宗教的な儀礼には必ずつきもの。宗教には音楽あるいは絵画であるというふうなことで、昔から日本でもそうですね。踊りを奉納なんてなことで何か神事と申しましょうか、何事かの厳かなもの、あるいは自分の日常の考え、日常の頭の世界を洗濯してすっきりさせるというふうな働きを持っているということは全地球的に認められ、あるいは効能があるということで活用されているというものだと思うのです。
 後に佐々木先生からいろいろお話もあるのかもしれません。自分の心を洗うような瞬間というものが、人間生きててずっと同じじゃなくてリフレッシュという、ただ旅行に行くとかゴルフへ行くのではなくて、本当に精神的なもので短い時間で心も体もリセットする。そういったこともやっぱり当然身体的なもの、体の健康には絶対的にいい影響があるということは自明の理だと思います。

魂の健康は死んでも健康という究極の意味での健康です

 以前もお話ししましたけれども、WHOのいう健康の定義―身体的に健康、要するに体が健康。皆さんは心臓を修繕したわけですけれども、身体的に健康。そして精神的に健康。要するに何かいろいろ、夜中眠れないから薬をいっぱい飲んでるとかそういう状況じゃなくて、非常に安定した日常を送れている。3番目が社会的に健康である。これなんかは特に重要だと思います。患者さんを外来で診ていますと、家族の皆さんと来られる。家族に支えられているんだなと、これこそ社会的に健康力というか家族力というかそういうふうに思ったり。
 身体的に健康、精神的に健康、それから家族環境とか社会環境が健康であるとこの三つです。さらにこれに魂の健康、スピリチュアルに健康といったこともWHOでは非常に重要だということです。
 身体的に健康ということは、死んじゃったらこれはもう身体的に健康と言えないわけです。魂の健康というのは死んでも健康という、すごい健康で究極の健康、これ以上の健康はないぐらいの健康であるわけです。この魂の健康ということをどうしても外せないということでWHOの健康の基準の中に入っているんだろうなと思ったりします。
 そういったことにつながる、あるいはそのものであるということで佐々木先生を今回お呼びさせていただいたということです。黒板を用意してくださいということだったんですけど、まさかこんな黒板がどこから出てきたかわかりませんけれども準備されると思いませんでした。そういうことなのでこの次は藤崎先生のお話しの後、佐々木先生のお話があります。非常に雑駁な話でしたけれども私のご挨拶とさせていただきます。
 前回はドイツ語の歌でしたので、今日はイタリア語の歌を歌わせていただきます。(1分間歌の披露)
 この後も続くのですが、一応今日はこのくらいにしておきます。拍手)。
 前回ドイツ語、今回はイタリア語と、次回はフランス語あるいはぜひ詩吟か何かに挑戦できたらと思います。今日は藤崎先生が久しぶりにこの会に来て、「何だ? この会は」とびっくりしたかもしれませんけれども、ぜひ気を取り直してご挨拶をいただきたいと思います。(拍手)